27年
- 2022.01.17
- 日記
今から27年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。
毎年この日は朝早く目覚めてテレビをつけ、その当時のことを思い出します。信じられないような光景の先で苦しんでいる人たちがいる、と思い、かといって実際に何をしたらいいのかわからない私は、病院協会のつてをたぐって震災ボランティアに応募し、震災から10日ほどたった神戸に向かいました。
あの寒い朝、住吉の駅に降り立ってから、ほんの1週間ほどの最初の活動の体験は私の人生観に大きく影響しました。明日が来ることは当たり前ではなく、穏やかな日常は有難いものであることを知りました。人助けとは何か、現場でもくもくと業務についている人々と日々の活動をともにしながら、人と人とのつながりと一期一会の大切さを学びました。安全な場所にいて懸命に頑張っている人を批評することがいかに傲慢なことなのかを理解しました。
さまざまな人々と出会いました。今年もさまざまな人の顔を思い出します。最初の活動では「人助け」ができなかったと思った私は、折を見て神戸に向かったり、関東に移ってこられた人たちの茶話会のお手伝いをさせていただきました。救援スタッフと一緒に写真を撮ってくださっていた避難所のご婦人、訪問先でやさしくしてもらったご年配の女性の方、一緒に納期のせまった飾りボタンの作業をさせてもらった作業所のメンバーさんたち、お茶をたてていただいた茶道のお師匠様、コンテナで喫茶店を始められたマスターの方、保健所の方、さまざまな場面で人間とはみな尊敬できるものなのだと学びました。
「こころは傷つく」という今ではごく当たり前のことを精神医学の立場から提唱しわが国の解離性障害の臨床を形にすることに尽力された故・安克昌先生ほかのすぐれた臨床家の人たちとつながらせてもらったことは私にとっての恵みでした。心の傷つきを持つ人々の回復を支援するためには本当に理解することができなくても「わかろうとする」「歩み寄る」という水平の関係が重要だと教わりました。「支援」という関係性の中での権力性に敏感となり、目の前の方より優位に立ったり、カリスマになることについて慎みを持つべきである、と。
あれからわが国では多くの災害がおこりました。中越では災害地に赴く同僚を頼もしく見送り、東日本大震災では非難されてきた入院の方をお迎えし、熊本大地震では自身もDPATチームの一員として学ばせていただきました。
私たちは今、長く続く新型ウィルス感染種の脅威にさらされています。自分の知る地域・コミュニティは分断されてきていることを感じます。人と人をつなぐていねいなかかわり方を失いかけ「正しいもの」を声高に言い募る人間というものの弱さ。さまざまな感情が湧いては消え、言葉にすれば、そのとたんにそれは真実ではなくなると思いました。新型コロナウィルスは感染症は忖度がなく、感染した後の回復に困難があることも気がつかされました。
「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」安克昌著「心の傷を癒すということ」より
今この時、困難の中にある人々が少しでも安全で安心ができますようにお祈りいたします。
最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。
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