正常を救え

アレン・フランセス著:大野裕監修・青木創訳「<正常>を救え」講談社,2013 を読みました。フランセス先生は、かのDSM-IVを作った人ですが、その後第一線を退いていました。しかし、今般DSM-5が発表されるに当たり、この新しい診断基準が「精神科の診断という通貨の価値をさらに下落させ、偽りの流行の波を新たに解き放ちかねない」という危機感を抱いて本書を執筆したということです。


DSM-IVは科学的根拠を基礎にして慎重・堅実な診断のマニュアルを目指して作られたものの、ひとたび研究者の手を離れると、製薬企業のマーケティングや「診断の流行」によって、診断の拡大解釈や乱用が横行しているといいます。


過去に流行したことのある診断として上げられているのは次のようなものです:
 悪魔憑き
  ダンス熱
  吸血鬼ヒステリー
  ウェルテル熱
  神経衰弱
  ヒステリー/転換性障害
  多重人格障害
  保育施設の性的虐待スキャンダルなど

現在流行しているのは次のようなものです:
  注意欠陥・多動性障害
  自閉症
  成人の双極性障害

 注意欠陥・多動性障害(ADHD)はそれまでは治療薬がマーケットの一角をしめるだけの診断名であったが、DSM-IVが発表されてから、有病率が3倍になったといいます。たしかに、これまで見落とされていたこの障害を持った子どもが治療のチャンスを得たことは間違いないと思いますが、偽陽性の人々への安易な向精神薬の投与は問題であると断じています。


 安易な早期の診断と投薬よりも「しばらく手を出さずに注意深く様子を見る」「教育や精神療法を行った最後の手段として薬物療法を選択する」が重要だと説いています。
例としてアスペルガー障害のが流行について書かれており、正常範囲との境界がはっきりしない概念が突然現れてダイアグノーシス・ドゥ・ジュール(本日のおすすめ診断)になり、個人のあらゆる差異を説明するものになった、ともかかれています。
プロパガンダの手法が書かれています。「ありふれているけれども見落とされている病気があります」「医師に相談を」。処方のターゲットはかかりつけ医で、かかりつけ医により向精神薬の処方量が増加しています。


 一方で、「専門家」も、自分の研究分野にのみ目がいきがちで、診断により利益を得ることのできる人々のことを思うあまりに、必要のない人たちに誤ったレッテルを貼ってしまうリスクをないがしろにすることで流行に一役買っているといいます。製薬企業への厳しい指摘とそういったことに長年かかわってきた自身への若干の反省の弁も書かれてあります。
そして、今年発表となるDSM-5の作成についても、手順に疑問を呈しています。フランセス先生はこの新しい基準によって精神科診断がインフレ→ハイパーインフレに突入すると懸念しています。そして、DSM-5の診断信頼性に対するフィールドトライアルの成果が信頼性にかける結果を示したのにもかかわらず、基準に必要な修正をしないまま出版したと批判しています。


 今後流行しそうなものとして上げられているテーマとしては、精神疾患に変えられる癇癪・病気になる年寄りの物忘れ・精神病になる大食い・「本日のおすすめ診断」になりかねない成人注意欠陥・多動性障害・うつ病と混同される喪・嗜癖にされる熱中などがあげられています。

 精神医学の最悪と最良の章ではわが国で固有の問題とされている向精神薬の多剤投与がアメリカでも深刻な問題であることが書かれています。「多剤大量療法は外国ではまれなために対策がよく練られていない」という国内での思い込みは正確ではなく、この問題がグローバルなものであり、多くの医師がこのことに取り組んでいることが書かれています。同時に、適切に精神医療を使っていくことの重要性も強調しています。

精神医療の利用を正しく進めるために、フランセス先生は以下のように書かれました。

「どの治療でも、成功しそうかどうかの最大の判断材料となるのは、臨床医と患者とのあいだに築かれる人間関係の質である。関係がよければすぐになおるとはかぎらないし、関係が悪ければなかなかなおらないともかぎらないが、総じて関係がよいほど結果もよい。そして、適切な診断は、治療に向けて揺るぎない関係を固める最良の手段の一つである。」

精神医学を利用する方も、サービス提供をする側にいる方も、これから利用するかもしれない方も、すべての人にとり一読の価値がある書物と思いました。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。