超訳・ニーチェの言葉
- 2010.07.11
- 日記
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サッカー南アフリカワールドカップ日本代表で多くのプレイヤーに読まれていたという、「白取春彦編訳:超訳・ニーチェの言葉」ディスカヴァー・トゥンテイワン社 を読んでいます。
この本は「ニーチェの思想を解説した」本ではありません。ニーチェの書きしるした多くの言葉の中から著者の視点によって切りだされたフレーズ集です。なので、原著を読んだ時のような虚脱感というか、気持ちの持って行き場のないような感覚にはいたりません。どちらかというと、読むと元気になるような、私の好きなビジネス書に近い感じの1冊かと思います。
ニーチェの文章は、示唆的であり、受け取り方は基本的にその著作を読んだ人次第のところがあります。「超訳」は、この編著者がニーチェからインスパイアされたものを書きしるしている、と受け取るほうが、ニーチェそのものの思想を簡単に分かった気にならないために必要な心構えかもしれません。
ニーチェの発した概念で重要なものの1つにルサンチマン(反感)というものがあります。ルサンチマンとは、ニーチェによれば「弱者が強者と対比して、強者を“悪”とすることで自分を“善”である」と思いこむこと、とされています。ニーチェの生きていた時代、彼の周囲の世の中に広く信じられていた宗教的道徳とか善悪の物差しはルサンチマンを根底にもち、それは人をいきいきと生きる源を喪失させるものであると、ニーチェは社会のあり方を批判しました。 神のような絶対者を想定し、そのものに人は守られている、といった教条主義にニーチェは異を唱えました。絶対者という外的基準を持たない、それは神であろうと、金銭であろうと同じような文脈であり、ニーチェは人間は本質的に一人で生きていかなければならない存在であり、安易な絶対者依存からの解放(神の死)によって人は自立する機会を得るとも考えていたように思います。今のここの自分を生きる以外にない、というメッセージといえるでしょうか
この本を読んで印象に残ったのは ”182 本を読んでも”の一節でした。ここでは「最悪の読者」についてが語られてあり、
”つまり彼ら(註:最悪の読者のこと)は、なにかめぼしいものはないかと探す泥棒の眼で本のあちらこちらを適当に読み散らかし、やがて本の中から自分のつごうにいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。
そして彼らが盗んだもののみ(彼らがなんとか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身の全てであるように大声で言ってはばからない。そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著者を汚してしまうのだ。 ”
とありました。
メンタルヘルスの分野においても、新しい概念や支援の方法が生まれて広がっていくにつれて本来の方法から離れているにもかかわらず同じものとして語られていき、いつしか本来のあり方が霧散し力を失っていくことの多い現状のが現状かもしれません。その中で、自分たちの信じる理念に立ち戻り、「フィデリティ」のような規範を重視して本来のものを守っていくことの重要性をもう一度振り返り、自戒を得る機会になった一節でした。
最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。
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