学ぶとは誠実(まこと)を胸に刻むこと

弊ブログのずっと前の記事「教えとは希望を人に語ること」の続きを15年ぶりにアップします。
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 らい予防法に関する検討委員会の法曹の委員は、「らい予防法」廃止にあたり、故・大谷藤郎先生とともに尽力した人ですが、その人は大学の法学部で法曹を志す若者たちを導く仕事もしていました。その人の好きな言葉にはルイ・アラゴンの詩「ストラスブール大学の歌」の一節があったと聞きました。

第二次大戦中、フランスはナチスドイツによる占領と自由な学びへの弾圧の中にありました。学問をつかさどる人たちの一部はファシズムへの迎合も見られたそうです。そして1943年11月には、ストラスブール大学の教授、学生が銃殺され、数百名が逮捕されました。大学は戦火と権力からの弾圧を避け、疎開していた先でのこの出来事を受けて、詩人ルイ・アラゴンが詩を書き残しました。そこにはファシストの残虐な制圧に対して愛する国の自由を守るために学生たちよ、立ち上がれ、というメッセージとともに、学問についての有名な一節が記されています。

Enseigner c’est dire espérance
Étudier fidélité

大島博文訳「ストラスブール大学の歌」では次のように訳されています。

教えるとは希望を語ること。
学ぶとは誠実(まこと)を胸に刻むこと。

私にこの一節を紹介してくれた人のものとは若干、語句の違いがありますが、どこかで別の訳に触れたのかもしれません。いずれにしても、教育の本質とは、上から目線で知識の詰め込みを行うことではなく、教える側の意に沿った人々を作り出すことでもないことが明らかにされています。

私たちは実践の中で「心理教育」として精神的な困難への対処法として医療の側からの情報提供をお伝えしていますが、同時にご家族の立場の方から提案されたLEAP(傾聴ー共感ー同意ーパートナー)アプローチも学んでいます。オープンダイアローグやWRAPなどでは、上下関係や決めつけのない、相互の対話による学びや気づきを重視してきています。

そのような中で、いわゆる学校のような「教育」という単語についての違和感も持ち始めているように感じています。もう一度、「心理教育」の原点である「希望を感じること」について考えたいと思い、来年3月7日・8日に山梨県甲府市で「日本心理教育・家族教室ネットワーク」の全国研修会を開催することにしました。

予定が決まり次第、弊ブログでもお知らせしますので、どうぞご期待していてください。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。