教えとは希望を人に語ること。

かつて、わが国には「らい予防法」という法律がありました。

ハンセン病(らい病)とは、らい菌によっておこる感染症です。末梢神経がおかされ、皮膚症状があらわれたり、病状がすすむと身体に変形が生じてしまうこともあります。らい菌は非常に感染力が弱く、長期にわたって濃厚な接触があってはじめて感染するもので、しかもたとえ感染しても発病するのはさらにまれで、しかも現在の医学では適切な治療を行えば治癒が可能であり、重篤な後遺症を残すことも、自らが感染源になることもない疾患です。しかし日本では、古来、重篤な感染者が肉体的変形をきたすことや遺伝病であるとの誤解から偏見が強く、隔離の対象にされてきました。


1907年の「癩予防ニ関スル件」という法律によって、患者は公立の療養所に隔離され、1931年の改正によって在宅患者の収容が始まり強制隔離されていきました。しかも戦後の1953年、すでに特効薬の発見により、ハンセン病は外来通院治療により治癒が可能な病気と世界的な見方の変化がおこっているときに、日本では「らい予防法」が制定され、世界にも例をみないこの隔離政策が、1996年にいたるまで続いたのです。しかも優生保護法において、ハンセン病は妊娠中絶の対象とされたり、出入国管理法のなかでは、入国拒否の理由のひとつとしてハンセン病があげられていました。

「『らい予防法』廃止に関する法律」の成立においては、当事者や家族、偏見打破を願う医療従事者に加えて、その法律を知り、その憲法違反でさえある規定内容に驚いた法曹の存在がありました。当時のらい予防法に関する検討委員会では、法規定そのものはひどいが、運用上改善されているのであり、法の廃止はとても困難なことを考えると「『名』を捨てて『実』を取る」の精神で臨んだらどうかとする意見が多かったとのことでしたが、委員は「『名』も『実』も取りましょう」と、この憲法違反の法律は何としても廃止しなければならないと努力し、その甲斐あって、「癩予防法」は廃止に至ったそうです。そのことを委員の一人は人生経験の中で、「唯一、社会に貢献できたと自負できることと考えている。」とも語っています。

自らの信念に従い、社会のために大きな目標に進んでいくことは、誰にとっても重要なことなのだと思います。その方の好きな言葉には1943年11月、ストラスブール大学の教授、学生が銃殺され、数百名が逮捕された悲劇を伝えるルイ・アラゴンの詩「ストラスブール大学の歌」の一節があったと聞きました。


教えとは希望を人に語ること。
学ぶとはまことを胸に刻むこと。


医療と法曹、分野は違っても、人としての根幹にせまる「学び」において、大いに影響を受けた言葉です。この言葉を伝えて下さった方にいまも感謝しています。


最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。