28年

今から28年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。

毎年この日、私にとって大切なひとときを早朝、テレビをつけ、その当時を思い出しながら迎えています。あの大震災での救援活動は私にとってコミュニティとはなにか、人とは何か、を考えるきっかけとなり、自身の臨床姿勢を方向付ける大きな経験となったできごとでした。

あれから長い長い年月がたちました。日々の暮らしは当たり前に続いていくものではなく、平凡とはありがたいものだと知りました。人とのつながりと一期一会の大切さを学びました。大変な経験を得た方々から回復するとはどういうものなのかを教わりました。

さまざまな人々と出会いました。今年も、もう二度と会うことのないさまざまな人の顔を思い出し、心の中で語りかけたいと思います。若いころに一緒に語り合い、熱くさまざまな夢を語りあった日々を記憶から呼び起こし、まだ道半ばである、自分自身の目指すものに向き合う気持ちを新たにしています。

神戸市立魚崎中学(1995年2月13日) 提供:神戸市 
http://kobe117shinsai.jp/area/higashinada/a060.php

「こころは傷つく」という今ではごく当たり前のことを精神医学の立場から提唱しわが国の解離性障害の臨床を形にすることに尽力された故・安克昌先生ほかのすぐれた精神保健分野の実践者の方々とつながらせてもらったことは私にとっての恵みでした。心の傷つきを持つ人々の回復を支援するためには本当に理解することができなくても「わかろうとする」「歩み寄る」という水平の関係が重要だと教わりました。「支援」という関係性の中での権力性に敏感となり、上下関係を押しつけたり、自身がカリスマの立場にたつことについて慎みを持つべきであると学びました。

私たちの社会は今、おさまらない新型コロナウィルス感染症の脅威になすすべなくさらされ、経済の失速を味わい、戦争による相互の憎しみによって分断され、他者への敬意を失いかけている気がします。今こそ、「愛すること」とはどのようなものであるか、自身に問いかける必要を感じます。

「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」安克昌著「心の傷を癒すということ」より

困難とは決して他人ごとではなく、その方と私との間に横たわっているものであり、いつも自分がその立場に立つ可能性があることを忘れないでいたいと思います。そして、今なおさまざまな苦しみを抱え、回復の途上にある人々の心の平安をお祈りいたします。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。