甲府五山@東光寺

東光寺は、甲府五山の一つに数えられる臨済宗妙心寺派のお寺で、ご本尊は薬師如来です。とある日の午後、甲斐善光寺にお参りしたときに、比較的に近いところにあると知り、日も暮れかけてはいましたが、その足で訪れてみました。
  

寺伝によれば平安時代の保安2年(1121年)に源新羅三郎義光公が諸堂を興し、寺号を興国院としましたが、その後荒廃してしまっていたものを、鎌倉時代の弘長2年(1262年)に渡来僧の名僧・蘭渓道隆(大覚禅師)が禅宗寺院として再興し、寺号を東光寺と改めたとされます。執権・北条高時の頃には、官寺として諸山位に次ぐ寺格を与えられたということです。
   

戦国時代に入り、信玄公が臨済宗妙心寺派の寺として再興され、寺号を東光興国禅寺と改められました。信玄公の時代には、諏訪領主・諏訪頼重がこのお寺に預けられたのちに自害、さらに謀反の疑いをかけられた武田家嫡男・義信公も当寺に幽閉された後に30歳の若さで死去されています。本堂の裏山には頼重公・義信公のそれぞれのお墓があります。
   

その後、織田の侵攻で武田家が滅亡すると、織田信長は甲府善光寺に本陣を置き、東光寺を焼きました。しかし、不思議に仏殿だけが焼け残りました。仏殿の中の柱に、織田軍が乱入した時の刀きずが残っているそうです。また、甲府大空襲でも諸堂は焼失したものの、仏殿だけが焼け残り、奇跡な因縁を感じさせます。仏殿は現在は国の重要無形文化財に指定されているそうです。
   

本堂と庫裡の裏には、蘭渓道隆禅師によって再興されたという庭園が広がっているということです。禅の精神世界を表現したこの庭園は、とても美しく厳かな雰囲気が漂っているとききました。残念ながらこの日は外側からしか眺めることができませんでしたが、コロナ禍が落ち着いたらあらためて拝観したいと思っています。
   


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