3月11日

 現在もまだ進行形である、東日本大震災の発生から10年目の日を迎えました。あの日、多くの人の人生が絶たれ、多くの人の人生が変わりました。今でもあの日の午後のいつ終わるのかわからないほどの大地の揺れ、翌日早朝の緊急地震速報の連続などをありありと思い出します。そして、原子力発電所の災害で当地に避難されてこられた長い入院継続中の方が、実は入院を必要としない状態であることがわかり、退院されてご近所に住まわれ、そしてそののちに故郷に戻っていかれたことなども思い出しています。

 しかし、未曽有の災害のあとで、さまざまな苦悩から自ら命を絶ってしまわれる方も少なくないと聞いています。阪神・淡路大震災後にもそのようなことが起こったと聞いています。そして残された方のダメージも筆舌に尽くしがたいものがあると感じています。

 

陸前高田市の「奇跡の一本松」

 福島県立精神保健福祉センターでは、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の「自殺で残された家族と友人のケアとサポートの手引き」を翻訳してネットで公開しています。一部内容をご紹介いたします。

 恐ろしい災害や事件を経験した後で心身の変化や動揺が起こるのは自然な反応であることを理解しましょう。あなたが異常なのではなく、災害や事件そのものが異常な事態なのです。このような異常な事態に対処しようとして、正常な反応として様々な心身の変化が現れます。また災害や事件が終わって、しばらくしてから心身に強い反応が起きてくることもあります。

 悲嘆とは、自分の人生にとって重要な意味を持つ人や物を失ったときに経験する、さまざまな感情の反応のことを言います。経験する感情としては、悲しみ、怒り、不安、罪責感などがあり、きまった順番はなく、その強さもさまざまです。悲嘆は普遍的な経験ですが、家族のあり方、性別、文化、年齢やその他の要因によって、こうした感情がどのように行動として表現されるかが違ってきます。

 誰でもが悲嘆を示す可能性がありますが、稀に感情反応を示すことができないように見える人がいます。悲しみは泣くことによって表現することが多く、悲嘆を表現するサインとして最も多いものの一つです。悲嘆を感じていても、外に示すような体験としては感じないこともあります。

 気持ちを「しまいこむ」よりは悲嘆を表現できることが重要であるということは確かです。しかし、みんなが泣くことによってそれをするわけではありません。遺族となる前から泣くのが得意でなかった人は、やはり今も泣くことが難しく感じるかもしれません。そうした人は、体を強く動かすとかいった他の行動で気持ちを表現するかもしれません。あるいは音楽、物を書くとか、そのほかの創造活動で表現するかも知れません。

 死別を経験すると、人生について私たちが持っていた仮定(考えや信念)がくつがえされてしまいます。最初は、自分がコントロールできない環境になすがままにされる犠牲者のように感じ、混沌とした感情に振り回されます。それはこれまで経験したことのないおどろおどろしいものです。気が狂ってしまうのではないかと感じ、睡眠や死によって忘れ去ることを望みます。

 支持的に接してくれる人の助けが必要です。これは簡単で身近な保全の社会資源であり、悲嘆プロセスに受動的にかかわっていた状態から能動的に関わるための助けとなります。

 悲嘆からの「回復」は体も病気からの回復とは異なりますが、徐々に、愛する「他者」がいないことに適応(適合)し、新しい世界における新しいアイデンティティを形作っていきます。 適応(適合)のプロセスはこれまで述べてきた要因によって影響されますし、また、人生経験、過去の喪失体験、対処スタイル、性格、身体的健康によっても影響されます。このプロセスへの個々人の関わり方は独自のものであり、感情反応の全部の側面が含まれます。すなわち、悲しみ、怒り、恐れ、そして喜びまでもです。

 悲嘆反応に積極的に関われば関わるほど(ただ座って「時が癒してくれる」のを待つだけでなく「行動する」こと)、なんらかの適応に至りやすくなります。すなわち、この出来事になんらかの意味を持たせ、人生を理解する新たな枠組み、新たな意味・目的を構築することができるように、この破壊的な経験を自分の人生に統合するということです。

全文はこちらからご覧いただけます→https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/21840a/mhealthtebiki-1.html

 

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