ここは今から倫理です(3)ソクラテス

 毎週土曜の夜のNHKドラマ「ここは今から倫理です」を視聴しています。NHKの公式サイトはこちらです。
 https://www.nhk.jp/p/rinri/ts/WKL8N2Z561/

 1月30日の第3回は、高柳の同僚の物理教師は女子生徒から好意を向けられていると思っています。相談を受けた高柳は「それは愛ですか?性的欲求ですか?」と問いました。そしてその女子生徒は2年前に高柳をセクハラだと陥れようとした女子生徒でした。文化祭の夜、その女子生徒は音声録音中の携帯をカバンに忍ばせて物理教師を挑発しました。高柳は女子生徒が自分より綺麗なな妹のように周囲にちやほやされたかったからではないかと看過し、ソクラテスの言葉を伝えました。

 「たえず自分を鏡に映し、美しければそれにふさわしい人になるように、醜ければ教養によってその姿を隠すように。」

 ソクラテスは人の外見は心のありさまを反映していると考えていたので、ここでの「美」は見た目の麗しさのことではないはずです。そして表面的な「美」は特定の判断基準/状況)の変化とともに変化し、普遍的なものではありません。ソクラテスは真と美と善は言ったであり、「善く生きる」ことと「美しく生きる」ことは同じであると説きました。表面的な美醜は重要なことではなく、鏡の表面にはうつらない人の本質、真の自分としての「魂(プシュケー)」をのぞき込み、学びに貪欲となって教養を身に着けるべきだと高柳は伝えたかったのだと思います。そして善い生き方によって磨かれる「魂」をうつしてくれる鏡とはモノとしての鏡ではなく、目の前のひとを理解しようとしてくれる他の人なのだと思います。

              出典:wikipedia ソクラテス彫像

 今回の最後に紹介されているソクラテスの言葉は次の一文です。
 ソクラテス「真の自分は”魂”である」

 ソクラテスは今から2500年前の古代ギリシャの哲学者で、哲学の祖と言われています。有名なのは「無知の知=知らないことを知っていることこそ”知”である」という思想です。そして知の積み上げ方は書き言葉では行えないとソクラテスは考えており、彼は考えについて自らは文字にせず対話だけで残し、現在、言葉として伝わっているものは弟子などが書き記したものだとされています。

 ソクラテスの哲学的対話は現在「ソクラテス式問答法」としてアドラー派の心理療法や弁証法的行動療法そしてLEAP(傾聴ー共感ー同意ーパートナーシップ)アプローチの実践に利用されています。重要なのは説得や誘導尋問のように、相手を自分の都合の良い答えや、あらかじめ予想した正解に導くためのものではない、というところです。自分の持つ仮説は仮説の一つに過ぎない、ということを忘れずに、さまざまな仮説を先入観なくすべて平場で眺めていくようなやり方です。高柳は同僚教師に「本当に愛してしまったのですか、弱き者を自分の欲望のはけ口にしているのではなく?」と、仮説をたてて相手の心はどうなのか、を明確化するように問いかけます。これは「ソクラテス的問い」なのかと思いました。このように仮説を立てて質問を確認していくことで気づきが得られるというわけです。

 私はオープンダイアローグについて学んでいますが、「対話理論」においてバフチンは文章はテキストのみで完結せず、さまざまな社会や歴史、関連性によって変化するというもので、そういった「さまざまな声(ポリフォニー)」の「対話」によって新たな気づきや創造が得られると考えていたと思います。ソクラテスの哲学の一端に触れてオープンダイローグの思想の源流の一つにソクラテスの哲学があったのかもしれない、と感じました。

今週の問い:「見た目で判断したこと、されたことはありますか?」




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