令和3年初詣

令和3年の初詣は正月三が日の3日目、住吉町にある甲斐之国住吉神社に参拝いたしました。境内ではソーシャルディスタンスが取れる程度の人出でした。手水舎も柄杓はなくなっており、流水で手水が行えるようになっていました。

「正一位住吉大明神」住吉神社 の総本社は大阪の住吉大社で御祭神は住吉三神 (底筒之男命・中筒男之命・表筒之男)と息長帯比売命(神功皇后 )の四柱です。もともと住吉三神は海の神様ですが、甲斐之国住吉神社の由縁は、「山梨県神社誌」によれば第四十五代聖武天皇の御代の天平年間(724年)に、現在の甲府市高畑町(旧高畑村)荒川の辺りに鎮祭されたとされています。その後甲斐源氏武田太郎信義公の願望にて 稲積荘一条郷に奉勧請して社殿を建立し、国の守護神として奉られてきたとされています。

武田義信公は
 「有かたやけに住吉の神ませは猶しもたのむ代々のゆくすえ」と詠まれたと伝わっています。

武田家が滅亡してから後に浅野長政公が甲府城を築城するにあたって文禄年間、現在の住吉であるところの当時の畦村に遷祀されました。慶長11年(1606年)に社殿再建されましたが元和年間に大洪水にて社殿被害にあい、寛8年(1668年) 再建されたのが現在のご社殿といわれています。いまは住宅地の中に鎮座され境内も開放的で近隣の住民の憩いの場となっています。二の鳥居は文禄年間の建造とされています。

旧住吉神社HPより

拝殿にはアルコール消毒液が備えられており、手指消毒の上、鈴緒は鳴らさずに二拝二拍手一拝の作法にのっとって昨年の自身と法人の無事についてお礼を述べ、今年も困難な状況下でも引き続き法人全体で努力していくことへの決意とともに法人の姿をご照覧あれ、とご報告いたしました。
 
 
 
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