あれから19年

1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。

多くの人々の命が失われ、多くの人々の人生が変わりました。私は「地域で精神障がいとともにありながら暮らしている人々の役に立ちたい」という思いをもって精神科救護活動にボランティア参加させていただきました。しかし、そんな大それたことができる力量がそなわっていないことは、神戸の住吉の駅に降り立ってものの数分で思い知らされました。

病院の診察室の中だけでは自分の思うその人の役に立つことは難しいのだと教えていただいたのです。そして、病があってもなくても、人はそれぞれに懸命に生きている大切な人であること、苦しみは他人と比べることはできないものであることも教わりました。それでも、理解しようとする人の存在は重要であると感じました。他者とつながっている感覚の重要性も活動中にお世話になった、避難所や救護所の人たち、当時の共同作業所「御影倶楽部」の人々やその周囲の方々から学ばせていただきました。

人と人がそれぞれの立場や歴史をいったん手放して、生身の人間として横につながることの大切さをあの時、私に出会ってくださった人々から教わりました。私の手元には、少し古びてきましたが、御影倶楽部でご一緒に作業させていただいた時の写真や、西灘公園でその年の師走にみんなでついた餅つきの写真が残っています。人間の回復力を信じるということの原点を感じたいとき、私はこの写真を眺めて当時の記憶につながろうとしています。

今年もこの特別な日に、私が敬愛してやまない臨床家であった、故・安克昌氏の一文を引用します。

「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」

今もなお、広島で、長崎で、奥尻で、阪神・淡路で、中越で、東北で、そして全国で、さまざまな被災や被害の傷あとに苦しむ多くの方々のこころの平安をお祈り申しげます。また、志のなかばで、あるいは、精一杯生き抜いて逝かれた方々のご冥福を祈り、いま自分が生かされていることの意味をあらためてかみしめています。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。