権利擁護が支援を変える

山梨学院大学の竹端寛先生の新刊を読ませていただきました。

竹端寛著「権利擁護が支援を変える」現代書館、2013

私は、権利擁護活動はメンタルヘルス分野では立ち遅れているといわざるを得ない場面に多く出くわしていると感じています。昨今はアドヴォカシー活動に力を入れようという動きも大きくなっていると思っています。アドヴォカシーとは、弱い人を守ってあげるということではなく、また、虐待する人/される人という明確な善悪論でもないという立場により書かれている本のようです。

権力、というシステムをもう一度よく考えてみる必要があるように思います。社会学者ゴッフマンによる「施設」における権力構造の特長は次の通りです。

 1.生活の全てが同じ空間で一元管理されている。
 2.一元管理の下で、プライバシーは存在しないか極端に軽視されている。
 3.毎日の全活動が決められたスケジュール通りにとり行われている。
 4.強制される全ての活動は、各施設の設置目的を遂行する意図で想定されている一貫した流れ
   に基づき、計画されている。

この構造からすると、精神病院だけではなく、グループホームやさまざまな地域にある施設でも権力構造は意識される必要があることがわかります。しかし、著者は支配者と被害者のような「あなたは悪い、私は悪くない」という二分法の立場を肯定はしていません。

絶対的な悪や絶対的な善というものはなく、私たちはみなグレーな領域で生きていると筆者は述べています。しかし、医療者側に「善」の立場が覆い被さったり、一方で人権侵害の加害者は「絶対的な悪」とカテゴライズされやすいといいます。
しかし、「絶対的な悪でもなく、絶対的な善でもない」という原則に立ち戻ることの重要性と安易に他者の枠組みやラベリングでわかったふりをせず、「グレーな領域」に居続ける、この居心地の悪さを感じながら考え続けなければならない、ということの必要性を指摘しています。他人事の視点から、勝手に批評家的に「あいつは悪い、こいつは悪くない」とラベリングして、「わかったつもり」になっていないか。さらに言えば、この「わかったつもり」の善悪の判断こそが、真の理解や本物の再犯防止、あるいは問題の最小化を阻む、最大の壁なのではないか、ということです。

メンタルヘルスの分野でも、利用者の方は障害者や患者とラベリングされることによって、人に対してではなく「障害」や「病気」にばかり焦点・興味関心を向けられがちです。しかし支援とは、支援する―される、という閉じた関係性ではなく、自分自身が困難を抱えながら暮らしている人に「関心」という関わりをもつことで、その支援の好循環のサイクルを動かし、支援が二者関係を超えて、関心のある他社を巻き込んだ協働構築物になるように思いました。

ひるがえって、日常でのアドヴォカシーとは、弱者の代わりに権利遂行することではなく、利用者の方が自分だけでは解決が困難な問題に向き合うために必要な決定に参加できるように力をつけることだという指摘、そしてカリフォルニア州でのセルフアドボカシーの紹介が腑に落ちました。

そこにある障害者公的権利擁護機関DRC(Disability Rights California)のセルフアボボカシーの4ステップとは、
 1.自分自身が望んでいるものを定める
 2.実践計画を立てる
 3.その計画を実行する
 4.得られた結果を評価する

であり、リカバリー概念と通じるものが大きいと思いました。

現在支援の場面で、同僚とのピアサポートの関係で、もやもやとしているものが、それを抱えながら成長していけるのだという激励をされたような本でした。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。