アロスタティック負荷と就労支援

統合失調症を中心として、精神的な病いを持つ人が病いを再発するのは、「ストレスに弱い体質になっている=脆弱性」からだという、個人のストレス-脆弱性理論は一定の説得力をもって語られています。再発に関するさまざまな実戦データがそれを裏付けしています。感情表出(EE:Expressed Emotion)についての研究でも、ご家族の行動様式の一部が、同居されている精神的な病をもつ方の健康と関連があるという指摘もあります。

一方で、精神的な病を得た方々の社会的な立場は差別や偏見にさらされて有利とはいえない状況が続いています。それらの結果であったり、それとは別の文脈で起こっている貧困の問題が、精神身体的健康に影響しているのではないか、と働くことの応援をしながら考えています。そのような中で、アロスタヒック負荷という考え方に出会いました。

山梨大学助教の近藤尚己先生は社会格差と健康について研究されていますが、社会の所得格差が大きくなると、貧困層だけでなく中間層や高所得層でも健康に悪影響を与える危険性が高まる、という研究を発表されました。その中で格差の指標となるジニ係数が0.3を超えるようになると、格差が広範囲に意識されるようになり、係数が上がるごとに市民の健康を損なう可能性が増加していくと考えられるそうです。


格差社会では貧困層の健康は悪化する、というのが一般的な考え方ですが、そこで重要なのが「相対的剥奪」というキーワードです。それは「ある程度に物質的には満たされていても、他者に比べて自分が経済的に不利な立場にある(=相対的に剥奪されている)と感じることで、人は抑うつ的になり、不満・焦り・劣等感といった感情にさいなまれ、そのことが直接的には高血圧や自殺企図といった生物学的な健康リスクを増大させたり間接的には喫煙・食習慣・飲酒などの生活習慣の変化を通して健康状態を悪化させる」というものです。(近藤尚己:貧困・所得格差と健康-貧困の絶対性と相対性の観点から。貧困研究2、2009、明石書店)

一般的には貧しくで教育水準の低い人の方が豊かで教育水準の高い人より高いアロスタテック負荷を持つ傾向があり、また強い社会的、家族的つながりのある人は孤独な人よりアロスタテック負荷は低い傾向があるとされ、また、イギリスの研究では低い職層で権限がなく、職を失う不安を抱えている人に負荷が高い事が示唆されていた。
ストレスは一定程度必要ですが、過剰なストレスはコルチゾールの分泌を上昇させます。このことの影響は記憶と学習をつかさどる脳の海馬を抑制するなど、脳・精神に影響を与えるとされています。これがアロスタティック負荷の生物学的実態ではないでしょうか。その結果として神経伝達物質のアンバランスが生じるとすれば、ストレス脆弱性はコントロールが可能な体質の一部であると考えることも可能です。

働くことは、上記の図でいう「貧困」へのアプローチでもありますが、「相対的剥奪」から心理社会的ストレスを経てアロスタティック負荷増大へのルートにアプローチするためには、障がい者としての枠組みのない、合理的配慮のもとで平等に働いているという実感が重要なのだと思います。ストレスに弱いから、という理由で平等な社会にチャレンジすることを避けていては、「相対的剥奪」で失った権利が取り戻せないかもしれないと考えたりもします。

もう1つ、近藤先生の論説で重要なのは、格差による「相対的剥奪」が増大すると、いわゆる高い位置にある人々にも悪影響が出るのだということです。「自分もストレスで苦しんでいる人たちのようになるのではないか」と、高いノルマを達成することがすべてであるように自分を追い込むと、過重勤務の結果、うつ病・過労自殺・過労死などの健康上の困難が増大するということになります。

この考えの上に立てば、障がい者雇用に取り組むことは、「気の毒な人に仕事を与えてあげる」というレベルの話ではなく、職場で働くすべての人のストレス問題の改善を目指すことなのだともいえるのではないでしょうか。あらゆる職場の状況が、弱い人が切り捨てられやすくなってきている中で、どうやって全体でささえられるか。それぞれの職場の状況を改善するということと、障がい者雇用を推進していくということは、表裏一体の関係にあって、すべての働く人の利益に直結する問題だと私は考えています。

この点からも、重症の精神障がいを持つ人が職場で一般の方と一緒に働いていくことを目指すIPS援助つき雇用のアプローチは、アロスタティック負荷の理論との整合性のある、個人の治療としても公衆衛生の増進の方法論としても、医療の強みを発揮できるアプローチであるように思います。したがって、医療と同じく、対象やエビデンスを明確にして、自分の行っている方法が再現可能なものである、ということを意識していくことが大切だと思います。

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