ドーハの返礼

今、中東の国・カタールではAFCアジアカップ2011が行われています。カタールといえば、有名なのが1993年の「ドーハの悲劇」だと思います。サッカー日本代表はFIFAワールカップ1994アメリカ大会のアジア地区最終予選をたたかい、ワールドカップ本戦初出場を目前にしていた対イラク代表の最終戦、ロスタイムに同点ゴールを決められ、出場を逃したという、日本サッカー史上に残る「悲劇」でした。

それ以降というもの、日本代表はカタールに相性が悪いのか、フル代表が今回の大会までの対戦成績で負け越しているなど、あまり方角が良いとはいえない方面のように思っていました。

今回の大会、予選リーグで尻上がりに調子をあげて決勝トーナメントに勝ち進んだ日本代表でしたが、準々決勝の相手は開催国カタール。 多くの観客で埋まったスタジアムは「完全アウェイ」の雰囲気に満ちていました。試合は帰化人多数をかかえた(国自体が移民が多いので)カタールの個人能力の高さに日本が苦戦し、特にセバスチャン選手を止める事ができずに前半を1-1で折り返しましたが、ロングボール対策として今大会CBに抜擢された若い吉田選手をセバスチャン選手にマンマークに近いポジションをとらせたところ、後半はそこを狙われたか、ピンチを迎えるようになり、さらにイエローカード2枚で退場させられ、そのFKを直接決められて1-2にビハインド、プレイヤーも1人少なくなって日本代表は大ピンチになりました。

ただ、そこからは2004年大会を思い出すような驚異の粘りで追いつき、迎えた2-2での試合終了間際の後半44分、ルール関係無しとばかりに日本選手を削りにきた相手のタックルをかいくぐって香川選手が突進、ペナルティエリアで危険なタックルを受けるも笛が鳴らずに唖然としている所に現れたのが伊野波選手!値千金の決勝ゴールを決めたのでした。

スタメンSB内田選手の出場停止を受けて出場した伊野波選手は本職でないポジションで何度かピンチを招きましたが、最後にやってくれました。思えば2007年の北京五輪アジア最終予選、ドーハでの対カタール・アウェイ戦で伊野波選手は後半ロスタイムにペナルティエリアでハンドをおかして決勝PKを与え、チームは敗れ、その後伊野波選手はオリンピック代表から漏れたのでした。

あれから4年、伊野波選手は今度は同じ地で自ら決勝ゴールを決めたわけです。あの時ドーハから持ち帰った悪い記憶をこれで返す事ができたのかもしれません。あの同点の場面で、失点を恐れず勇気を持って攻め上がったチャレンジが失地回復の一撃を呼んだのだと思います。

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