主将という人種

その戦いの後、若い主将は言葉を発しなかった。長い伝統を持つ部を任されてもうすぐ1年、自身の経歴としても集大成となる秋になっていた。多くの先輩方、先生、後輩たち、そして同期のサポートを得て好きな道に打ち込んできた日々だった。

主将という言葉で思い出すことがある。それは自分がある部活動の主将をしていた頃のことである。自分は同期の中で図抜けた体力を持つ者ではなかったが、最終学年で主将に指名された。主将はその部活動の伝統を背負いながら、「自分の代」の成果を示し後輩にそれを伝えることが役割であり、なによりも一つの集団をまとめていくことのために大きな決断力を与えられるものだった。出来て間もない部であっても、先輩方の思いを知る身にはプレッシャーがあった。ひとりで責を負うことが必要になって無口になることが増えた。他からの助言を遠ざけた時期すらあった。それでも、同じ目標を持つ仲間が自分を支え続けてくれたことを思いだすとき、心は感謝でいっぱいになる。そういった自分の経験を若い今の主将に伝える機会を持てたことも、あの頃自分をサポートしてくれた多くの人々のおかげなのだと思う。自分の身には収まりきらないような思いを持って、日々を過ごすことができるということは代えがたい体験であり、自らの成果よりも部が前進することを優先することの難しさもまた、主将にしかわからないものであるかもしれない。

彼が受け継いだ伝統は世代を重ねるほどのものだと聞いていた。そして今年、目標を設定していた大会で、彼は一つの目標は手にすることができなかった。残された大会は数少なくなったが、まだ大きな目標となる大会がある。その一つの大会に出場する権利はこの大会で手にすることができた。

私はいつかこの若い主将が、自分のように「この大切な日々」を思い出す時のために、残された時間に持てる力のすべてを注ぎベストを尽くしてほしいと願っている。

対抗戦に勝利した後に、並べた若い主将の肩は、もう私の目線の高さに近くなっていた。飾り立てるような言葉をかわす必要はない。主将という人種には、何も言わずとも、こころを通じさせる回線があるのだ。

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