底つき
- 2007.10.07
- 日記
アルコール依存症やさまざまなアディクションからのリカバリーには「底つき体験 Hitting bottom」が必要だと言われています。
”底つき”とは何なのでしょうか。それぞれの人にはそれぞれの体験があって、個々の人々にはその人だけの”底つき”があると思います。何かが正しくて、何が間違っているということはありません。
だから「あなたは”どん底”なんですよ」と口をすっぱくして誰かが言い続けても、当人がそのことを自らの体験として感じるまでは”底つき”はおこらないのだと思います。
誰だって、自分がうすうす感じてはいても、それを認めたくない”弱み”を持っているのではないでしょうか。しかし、自分には言われるような問題はないというこころの反応が否認です。
自分生き方には問題はないし、仮に何か問題があったとしても、それは「やろうと思えばいつでも変えられる」のだから、問題解決は先に延ばしておいても大丈夫だという考え。私の「頼まれ原稿」の締め切りを大きな理由もなくぎりぎりまで引っ張ってしまうようなものもそうだと思います。
ようするに「やりたいやり方でこの生き方をしている。変えられないから続けているわけじゃない」という主張です。そしてそこには必ずいろいろな仕方がない理由があるわけです。でも、客観的な事実はひとつです。「自分が生き方を変えないから、変われない」
「ちょっと大変に見えているけど、まだたいした問題じゃない」「問題はあるけど、まだ大丈夫。そのうち修正できる」「今までのやり方は間違っていない」「そのうち変えればいいさ」etc.
しかし、自分が変えはじめないと、自分は変わらないことに気がつかない人に、周りで身勝手な「指導」や「支援」をすることは、その人たちの力を信じていないということです。誰も助けてくれなくなったときにこそ、”自分でしかやることはできない”と、人は行動を起こすことができるのではないでしょうか。
言うべきものを言い、情報のあり方を教えたらば、あとは「おまかせ」。脅すのもなしです。あくまでも、アクションを起こす/起こさないという決断ははその人ものであり、その結果もその人のものだということです。アディクションの支援では、早く”底をつける”ような支援が重要だと思います。
(wrote:財団法人 住吉病院)
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