31年

 今から31年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。

 この日は、私にとって大切な日であり、、今年もその当時を思い出しながら迎えています。あの大震災での救援活動は私にとってコミュニティとはなにか、人間とはなにか、生きることの苦しさとすばらしさを考えるきっかけとなり、自身の臨床姿勢を方向付ける大きな経験となりました。

 あれから長い年月がたち、「未曽有の」と形容されるような災害も幾たびか起こり、あちこちで戦火に倒れる人々も増え続けています。平穏な暮らしはと当たり前に与えられるものではなく、それは有難いものだと知りました。人との対話やつながりは、それぞれが唯一無二であり、一期一会の大切さを学びました。大変な経験を得た方々から回復するとはどういうものなのかを教わりました。

 1995年1月18日神戸市東灘区森南町3丁目赤鳥居前   写真提供:神戸市

 齢を重ねても、往時のことを断片的に、そしてはっきりと思い出します。二度と会うことのないさまざまな人の顔や街の風景、冬の冷たい空気と避難所のにおい、作業所がなくなってしまった御影俱楽部の人たちと一緒に過ごした仮の作業所で茶道の先生から点てていただいた抹茶の香り、年末の仮設住宅での餅つき・・・。当時はまだインターネットが普及していなかった中で、ネットで出会った、熱く優秀な同年代の精神科医の人たち。

 「世界は外傷体験に満ちている」と記し、わが国の解離性障害の臨床を形にすることに尽力された故・安克昌先生のことを思い出します。あのような志の高い方が40歳を目前にしてこの世を去ったことは、とても悲しいことでした。それでも安先生の言葉やたたずまいから学んだ、他者を完全に理解できなくとも「わかろうとする」「歩み寄る」という水平の関係の重要さ、リスペクトの大切さは今日に至るまで大事な臨床姿勢の一つとなっています。

 安先生のご葬儀において、師匠である故・中井久夫先生の追悼文にあった「精神科医の真の栄光は、もとより印刷物や肩書きにあるのではない。その栄光の真の墓碑銘は患者とともに過ごした時間の中にある」をあらためて噛みしめています。

「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」安克昌著「心の傷を癒すということ」より

 

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