八ヶ岳倶楽部
- 2022.04.25
- 日記
俳優やクイズ番組の司会者などとして知られた柳生博さんが4月16日に老衰でなくなりました。
多忙な仕事を抱えて家族と過ごす時間が激減したため、柳生さんご一家は1976年、八ヶ岳のふもとに移り住んだと聞きました。その場所は10代前半に一人旅で訪れたところだったそうです。その地で雑木林を育てレストランとギャラリーを併設した「八ヶ岳倶楽部」をオープンされ、自分で雑木林を育て、枕木を敷いて遊歩道を作り、多くの人に自然のすばらしさを伝えてくださいました。素敵な作家さんを紹介するためのギャラリーも作られました。
地域おこしとか、そんなものではなく、自然の中にいる、自然であることがいかに人を癒すものであるのかを教えてもらいました。私はまだ県立の病院に勤務していた時から何度となく訪れましたが、少しずつ人の手の入る雑木林、木々のざわめき、吹きとおる風と鳥の声、そして他では味わえないフルーツティーを味わいながら過ごす時間が大好きでした。足を運ぶたびに、雑木林が広がっていきましたが、広がりは少しずつでいわゆる「リニューアル」はなかった気がします。鳥の集まる場を作るためには草木を育て、花が咲けば虫が寄ってきて、虫がいるところに鳥たちがやってくる、というお話を聞いたときに、「組織とはかくあるべきなのだ」と教わった気がしたときがありました。
柳生さんは、いつも自然体で八ヶ岳倶楽部の席であったり、雑木林の遊歩道であったり、お見かけするとにこにこしながら「こんにちわ」と声をかけていただいて、柳生さんの生活の場にお招きされているような気持になりました。
柳生さんは最期を迎えるとき、病院には入院せず、大好きな八ヶ岳の森に囲まれ、家族と倶楽部スタッフなどお知り合いの方々に見守られて、柳生さんは逝かれたとしりました。ご夫妻と真吾さんが手がけ、宗助さんが守る森の木漏れ日とさわやかな風はこれからも変わらずに人々を幸せな気分にしてくれるものと思います。
私にとって、生きることと向き合うことについて大きな学びの道を示してくださった柳生博さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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