なでしこの背番号8

8月19日、国立競技場では、先のFIFA女子ワールドカップ2011で見事初優勝した「なでしこJAPAN」の凱旋試合兼ロンドンオリンピックアジア予選壮行試合が行われました。雨にもかかわらず、国立競技場には20000人を超えるサポーターが集合しました。

この試合、私は背番号8の選手を楽しみにして、珍しく早い時間からテレビの前に座っていました。サッカー日本代表のナショナルカラー、青の8番と言えば、今はおなじみ宮間選手ですが、私の待ち焦がれていた背番号8はピンクのユニ、なでしこリーグ選抜の選手でした。

彼女の名前は小林弥生。日テレベレーザの選手です。この方は、ポジションはミッドフィールダーだが、トップ下からボランチまでこなせるユーティリティープレイヤーです。中学生の頃から卓越したスキルを発揮しており、l高校生となった1997年に読売ベレーザ(現・日テレベレーザ)へ昇格し、トップリーグで活躍しました。この頃のベレーザは女子サッカー界の一強として君臨しており、多くのスター選手を擁し、荒川恵理子、中地舞、柳田美幸ら、のちに日本女子代表となる選手も一緒に入団しています。

1999年にはサッカー日本女子代表でデビューし、はやくもデビュー戦でゴールを挙げ、中盤のかなめとして第3回FIFA女子世界選手権に出場、さらに2003年の第4回FIFA女子ワールドカップ、2004年アテネオリンピック出場し、華麗なテクニックで若い日本の中盤を引っ張る選手として澤穂希選手とともに代表の顔になりつつありました。アテネオリンピックの対アメリカ戦では、中盤から前線の澤選手に出した右足アウトカーブをかけたロングボールのピンポイントパスが、当時私の抱いていた「女子サッカー観」をくつがえしました。彼女がベレーザでつけていた背番号8は代表でもそのままで、彼女には笑顔と背番号8がよく似合っていました。

将来、日本を率いて行くであろうと期待されていた小林選手でしたが、アテネオリンピックのあとに左足の十字じん帯を切る大けがに見舞われました。それでも、リハビリを続けてけがを克服し、代表の合宿に復帰しようとした時、今度は右足の十字じん帯を切ってしまいました。とても辛い時期があっても、それでも、その都度「大好きなサッカーをする」という一念が彼女にサッカーを取り戻させ、人間的な成長をももたらしたように思います。

その想いが、小林選手のブログにはつづられています。→http://ameblo.jp/yayoi-8/entry-10983691459.html

代表選手として特別な想いをもった国立競技場、みなれたジャパンブルーの背番号8は小林選手ではありませんでした。でも、リーグ選抜の背番号8として小林選手はピッチに立っていました。後半残り15分ほどからの出場でしたが、そのプレーからは、澤選手にあこがれた小さいころからの想いや、澤選手と同じようにサッカーを愛しているオーラが出ていました。終盤になって日本代表を凌駕しつつあったリーグ選抜は、終了間際にゴールを決め、代表に対する気持ちをみせてくれました。小林選手は随所に良いプレーを出し、「代表の8番」宮間選手には厳しいスライディングをカマして、彼女のもつ、サッカーへの熱い情熱を伝えてくれました。

私が前職場のデイケアでフットサルのチームを作った時、練習に来てくださり「みなさんとは同じリハビリ仲間ですね」と声をかけてくれた小林選手。これからも頑張ってください。そしてまた、その笑顔にお目にかかれる日を願っています。いただいたユニフォームは私の元気回復グッズとして大切にさせていただいています。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。