26年

今から26年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。

毎年この日は朝早く目覚めてテレビをつけ、その当時のことを思い出します。苦しんでいる人たちに、離れたところから何もしないでいることに悔しく、悲しい気持ちがしました。そして震災ボランティアとして神戸に向かいました。

この活動の体験は私の人生観と臨床姿勢に大きく影響しました。明日が来ることは当たり前に保証されているものではないこと、平凡な日常は有難いものであることを知りました。救援とは華々しく誰かを助け、感動を呼び起こすものではなく、現場で本当に必要なことを着実にこなすことだと知りました。俯瞰的な立場から懸命に頑張っている人を批評することがいかに残忍なことなのかを理解しました。

さまざまな人々と出会いました。出会いは一期一会であることがほとんどでした。避難所でご自身も災害を受け、へとへとになりながらも文字通り粉骨砕身で働いている人々や、傷んだアパートに訪問したときに他所から来た私たちに手作りの漬物をふるまってくれたご婦人、作業所のメンバーさんたちと一緒に茶道のお師匠様がおそらくとっても高価なお茶器でたててくださったお茶をいただいたこと、さまざまな場面で人を人として尊敬することの重要性を学びました。

神戸市立魚崎中学(1995年2月13日) 提供:神戸市 
http://kobe117shinsai.jp/area/higashinada/a060.php

震災をご縁に、そうでなければ知り合うことのなかったすぐれた臨床家の人とつながらせてもらいました。心の傷つきを持つ人々の回復を支援するためには支援するvsされる、のような上下関係ではなく、「ヨコの関係」が非常に重要であると教わりました。本当に理解することができなくても「わかろうとする」「歩み寄る」という水平の関係が重要なのです。治療者の持つ権力性に敏感となり、治療者が当事者より優位に立ったり、カリスマになることについて慎みを持つべきである、と。あれからわが国では大小あまたの災害が生活を襲いました。災害地に赴く同僚を頼もしく見送り、熊本大地震では自身もDPATチームの一員として学ばせていただきました。

そして今、私たちは新型ウィルス感染種の脅威にさらされています。自分の知る地域におけるコミュニティのほころびや、身近になったかに思える人々の生死。これまできちんと向き合ってこなかっただけにもかかわらず、あまりにリアルな現実をつきつけられて、言葉を失いかけ「正しいもの」を手にしたくなる人間という存在のはかなさ。さまざまな感情はわきあがれども言葉で表現できない、言葉にするとそれは嘘に思えてしまうように、リアルとは忖度がないものだと気がつきました。早世した知人は容赦のないリアルの世界に身を置いたときに、自分自身の身近で目に見える、実際的なものを大切にするという価値観の変化を仮に「リアル病」と名づけました。

あれから長い長い年月を経て「リアル病」のなんたるかをようやく私も体感できるようになった気がしています。

「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」安克昌著「心の傷を癒すということ」より

※故・安克昌先生の半生を題材にした上記の作品と同名の昨年放送されたNHKドラマは、このたび劇場版として公開されることになりました→映画『心の傷を癒すということ』 公式サイト (gaga.ne.jp)

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。