25年
- 2020.01.16
- 日記
今から25年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。
その当時、私は東京の病院の勤務医でした。あの日見たテレビは見たことのない街並みを映し出していました。とても現実とは思えない光景でした。自分には何ができるのか、を考えた時に、何も思いつかない自身を無性に腹立たしく思いました。救急医療やや外科スキルがほとんどない精神科医である自分が現場で何ができるのか、電話番でも清掃でも何でもしようと思って、所属大学の医局を通じて救援のボランティアを志願しました。震災から10日ほどたった日に降り立った駅の名前は「住吉」でした。あちらこちらでビルが倒壊し、人々は整然と運休しているJRの代行バスに乗るために行列していました。役所にも学校にも多くの人々が避難しておられました。
私はこの活動で人生観と臨床姿勢に大きく影響を受けました。明日が来ることは当たり前に保証されているものではないこと、平凡とは有難いものであることを知りました。救援とは華々しく誰かを助けて感謝されるようなものでなく、現場で本当に必要なことをこなしたり、相手のことを理解「しようとする」ことの尊さを学びました。当地ではさまざまな人々と出会いました。本当に一期一会のことも多かったのですが、懸命に生きておられる方々、自身も災害を受けながらも文字通り粉骨砕身で働いている人々に励まされました。災害にあった作業所のメンバーさんたちにあたたかく迎え入れていただいて、一緒に内職させてもらったことや茶道のお師匠様がおそらくとっても高価なお茶器でたててくださったお茶を一緒にいただいたことなど、日常での人とのつながりの素晴らしさを心に刻みました。その年の暮れに西灘公園で行った餅つきの経験は、いまだに自分自身の地域活動で目指すべき最高のものであり続けています。
素晴らしい臨床家の人たちとも震災をご縁に交流を持つことができました。「心の傷を癒すということ」で文学賞を受賞された神戸大学精神科の医局長の方からは、心の傷つきを持つ人々の回復のためには「ヨコの関係」が非常に重要であると教わりました。支援するvsされる、または理解するvs理解してもらうという「タテの関係」から、本当に理解することができなくても「わかろうとする」「歩み寄る」という「ヨコの関係」が重要なのだと教わりました。治療者の持つ権力性に敏感となり、治療者が当事者より優位に立ったり、カリスマになることについて慎みを持つべきである、と。
四半世紀が過ぎ、その間にも中越地震や東日本大震災、熊本大震災、北海道でも関西でも地震は起こり、地震以外にも数多くの災害がこの国には興りました。中越や東日本大震災では支援活動にむかう同僚を頼もしく思いました。熊本大地震ではDPATチームで活動させていただきました。
早世した尊敬する友人に、精神疾患を持つ方々がいかに地域での暮らしを豊かにすることができるのかを熱く語ったまま、まだその実践を創り出すに至っていない現実を今年も痛みとともに味わって、「トライする」という言葉を胸に今年もこの本を読み返しています。
「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」
安克昌著「心の傷を癒すということ」より
※安克昌先生の半生を題材にした上記の作品と同名のNHKドラマが1月18日から
放送されます。https://www.nhk.or.jp/drama/dodra/kokoro/
最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。
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