鉄鎖解放
- 2019.09.08
- 日記
かねてより精神科病院の廃止運動の父としてイタリアのフランコ・バザーリア、精神科患者の自宅監置をやめさせようとした人物として呉秀三の名が挙げられていますが、精神医学の教科書で必ず習うのは1790年の代にフランスのビセートル病院・サルペトリエール病院において、文字通り鉄の鎖につながれていた患者を解放した「鉄鎖開放」のフィリップ・ピネルです。
ピネルは1767年、トゥルーズ大学で神学の学位を取得した後同大学医学部に再入学し、1773年に学位取得しました。その後骨格研究と外科施術を専門としていたのですが、1785年に親友が急性の精神系疾患になったのをきっかけに、心理学的精神病理学医へ転向しました。1792年、当時パリ周辺の精神疾患患者や囚人を一堂に収監していたビセートル病院に職を求め、翌年には閉鎖病棟からの精神疾患の患者の開放を実現しました。さらに次の年(1794年)、サルペトリエール病院に移って同病院の閉鎖病棟の改善と同病院のホスピスの開放病棟化等、当時では画期的な改革を行い1795年にパリ大学の病理学教授に就任しました。
中世において、精神医学はキリスト教社会の影響が大きく、精神疾患を持つ人は「悪魔つき」と考えられ、恐れられ、中傷され、鎖につないで拘束されていたのです。しかしピネルは、神学を学びながらも啓蒙思想や百科全書派の影響を受け、人道主義者であり科学者でもあり、心の病を内科の病気と同じく安全に自然の原因から生じたものだとして、患者を見下すのではなく、しかるべき尊厳を付与されるに値する人間として扱うようにすべきだとして、彼らを拘束していた鎖から解き放ちました。ピネルは心病む人々が持つそれぞれの希望、恐怖、人生で味わった苦難が病気とどう関係しているかを知り、「心的療法」(traitement moral)に代表される純粋に人道的な心理学的臨床を重んじる精神医療で治療をしようとしました。「薬の過剰投与」を廃し、人道的な精神療法によって薬物療法の過度依存を戒めました。そして患者の人権を重視し、人体実験ではなく臨床的で温かみのある医療を目指したのでした。
患者を解放するピネル(wikipediaより)
ピネルはこのように「精神病患者を鎖から解き放った」初めての医者として知られていますが、最近の研究では、このことはピネル自身の発案というより、ピセトール精神病院の看護人であるジャン=バティスト・ピュサンの影響が大きかったといわれています。ピュサンは実は最初から看護学を学んだ人間ではなく、実はピネルのもと患者であったというサイトもあります。彼は非常に観察力がするどく、文章を書くことに秀でていたため、ピネルの記録係として他の患者の回診に伴われ、そして入院している人々の看護や処遇を任されるようになっていきました。このようにして今風にいう「当事者の視点に立った」記録からピネルは人道的医療実践をすすめながら、フランス精神医学の創始者としての見地を拓いていったものと思われます。
いま、「ピアサポーター」として支援のしごとをされている仲間の皆さん。「経験のある人の目線」からの支援は精神科医療福祉において、新しい潮流から与えられたものではありません。その立ち位置からのアプローチは権力格差の隙間を埋めるためにあるのでもありません。専門職の「正しいやり方」を補助するためのものでもありません。心を病む方々に手を差し伸べる、支援という実践の中で「人はみな人なのである」ことを忘れないために必要な視点の源に皆さんはいるのだと思います。そして、精神科臨床サービスを受けながら、支援職の立ち位置を持っている仲間の皆さん、迷わず患者さんの立場の方のためになること、自分が回復のためにしてもらいたかったことを口に出しましょう。そのことの正しさは歴史が証明していると私は思います。
そして、治療を受けた/受けてない、を乗り越えて良い行いはできるはずです。
最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。
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