24年

今から24年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。今年もこの日に朝早く目覚め、さまざまな人々の顔を思い出しています。

東京で働いていた私は、テレビに映し出された光景に息をのみました。どうしていいかわからないまま大学の医局を通じて申し込んだ救援のボランティア、降り立った駅の周りはあちらこちらでビルが倒壊し、役所にも学校にもたくさんの人々が避難しておられました。この震災での救援活動は私の人生観と臨床姿勢に大きく影響を与えました。無事に日々を過ごすことは決して当たり前のことではなく、有難いものであることを学びました。さまざまな人々と出会い友人となりました。苦しい時こそ、知恵と勇気、人間の美徳が輝きだすときだという言葉に力づけられました。臨床を生業にしている私にはまばゆいようなセンスのある臨床家の人たちとも交流を持つ機会を与えられました。そして良い人から順番に神様のもとに召されていくということは本当なのだ、と思うような日々でした。自分の実践がひとの人生に影響を与えることをはっきりと理解して、「センスのある精神科医であり、それ以上の何かである。」と師に言わしめた、大学の若い精神科医局長の方もその良き人の一人でした。

私は、精神医学とは日々の生活の中で役立つものであるべきであり、個々の医師の力は微々たるもので人の心を支えるためには多くの人の力を合わせなくてはならないこと、耳障りの良い言葉や高邁な理想や危険な場所を離れたところからの批評や診察室の中から世の中をうれいているだけでは、精神的に困難を得た人々の回復のお手伝いをすることはできないのだと知りました。

それから長い年月が過ぎました。中越地震や東日本大震災、熊本大震災、北海道でも関西でも地震は起こり、地震以外にも数多くの災害がこの国には興りました。災害のたびに支援活動はヴァージョンアップされ、DPATチームも制度化されるようになりました。災害や臨床の場面において、心の傷つきを持つ方との間での実践も少なからず経験しましたが、いまだに正しい方法などはわからないまま日々を過ごしています。それでも「誰かのそばにいてただ一緒にいること」そして「人間の回復力を信じて時を待つこと」から学びは続いてきています。

早世した尊敬する友人に、かつて、神戸の地域でいかに精神疾患を持つ方々の暮らしを豊かにすることができるのかを熱く語ったまま、まだ自らの住む地でその実践を創り出すに至っていないことを今年も実感し、「乾坤一擲」という言葉を胸に今年もこの本を読み返しています。

今もなお、沖縄で、広島で、長崎で、奥尻で、阪神・淡路で、中越で、東北で、熊本で、北海道で、中国地方で、そして全国で、さまざまな被災や被害の傷あとに苦しむ多くの方々のこころの平安をお祈り申しげます。また、志のなかばで、あるいは、精一杯生き抜いて逝かれた方々のご冥福を祈り、またその方々にお会いできるときに、自分がどう生かされてきたかをお伝えすることができるように精進をしたいと思っています。

「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」

安克昌著「心の傷を癒すということ」より


最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。