23年

今から23年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。今年もこの日に朝早く目覚め、さまざまな人々の顔を思い出しています。
その若くして大学病院の医局長に任ぜられていたドクターは、精神病理学の大家である恩師をして「センスのある精神科医であり、それ以上の何かである。」と言わしめる精神科医でした。そのドクターはやさしいながらも、人の心の奥に届くまなざしを持っていました。柔らかく、気高く、そして芯の強い情熱的な臨床姿勢は多くの人々に回復の道のりを示しました。そして天才のゆえか、彼は39歳で早世されました。
この震災での救援活動は私の人生観と臨床姿勢に大きく影響を与えました。諸行は無常であり、だからこそ今、ここ、でつながり、内なる変化を恐れず、人を決めつけることをしないことを心がけようとするようになりました。

そして、精神医学とは実践で役立つものではなければいけない、医師の力だけで人の心を支えていくことはできない、言葉で高邁な理想を語っても、外側から批評的な言を述べても、逆に診察室の中にだけこもっていても、精神的困難を持つ人々の人生を切り開くお手伝いをすることはできないのだと知りました。

それから長い年月が過ぎました。中越地震や東日本大震災、さらには熊本大震災、他にも数多くの災害がこの国には興りました。災害のたびに支援活動はヴァージョンアップされ、DPATチームも制度化されるようになりました。災害や臨床の場面で心の傷つきについての臨床も少なからず経験しましたが、やはり相変わらずに十分なことができたとは感じられません。それでも「誰かのもとに行ってただ一緒にいること」そして「人間の回復力を信じること」による学びと、いつかきっとくる素晴らしいひと時が私の支えだとかじるようになりました。

早世した敬愛する大切な友人に、かつて、神戸の地域でいかに精神疾患を持つ方々の暮らしを豊かにすることができるのかを熱く語ったまま、まだ自らの住む地でその実践を創り出すに至っていないことを今年も実感して、今年もこの本を読み返しています。


今もなお、沖縄で、広島で、長崎で、奥尻で、阪神・淡路で、中越で、東北で、熊本で、そして全国で、さまざまな被災や被害の傷あとに苦しむ多くの方々のこころの平安をお祈り申しげます。また、志のなかばで、あるいは、精一杯生き抜いて逝かれた方々のご冥福を祈り、またその方々にお会いできるときに、自分がどう生かされてきたかをお伝えすることができるように精進をしたいと思っています。

「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」安克昌「心の傷を癒すということ」より

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。