イタリアでの社会協同組合の実践に思うこと

精神医療改革の先進地イタリアの憲法は、第一条第一文が「イタリアは労働に基礎をおく民主的な共和国である」ではじまっています。

その第十八条では「労働の能力を持たず、生活に必要な手段を持たないすべての市民は、扶養および社会的援助を受ける権利を有する」とあり、福祉サービスを受けられるかどうかは労働能力の有無によって規定されており、制度的保障の適用は障がいの有無にこだわっていません。そして多様な障がいを対象とした諸政策が施行されるようになると”コミニタ”といわれる共同の生活と仕事の場が、当事者とその家族・支援者によって広がってきました。そして、「労働」と「生活」を基本に考えるイタリアでは障がい別に分けない多様な就労支援の取り組みが早くから実現していたと考えられています。この点は「重度精神障がい者」が社会の中で働くことへの支援を念頭に置く、IPSモデルのものを含む援助付き雇用とは異なっており、支援をえながら競争的雇用(≒一般就労)にたどり着くのではなく、一緒に暮らし、働くことが意識されているように感じます。

イタリアでは1980年代以降、「社会的排除との闘い」をスローガンとした取り組みが始まり、精神医療改革や失業中の若者たちの起業など、さまざまな地域で、さまざまな当事者性と社会的背景ごとに「民主的運営」「地域に根差した事業」「小規模性」「ネットワークの拡充」の4点を共通の特徴とする非営利事業が、協同組合やアソシエーション等の組織的体裁を得て、いわゆる「福祉的就労」を超えたモデルとして実体化されていきました。

1991年には「社会的協同組合法」(法律381号)が制定されました。この法律によると「社会的協同組合は、市民の、人間としての発達および社会参加についての、地域における普遍的な利益を追求することを目的としている」となっています。つまり障がい者に限らず、地域社会におけるすべての市民の「発達」と「参加」を保障していくこと、すなわち公益性が求められているのがこの協同組合の特徴です。

社会協同組合には2通りの形態があり、「発達」のために高度な「社会福祉、保健、教育サービス」を提供する協同組合を「A型社会的協同組合」とし、「参加」保障のために「社会的不利益を被る者の就労を目的として農業、製造業、商業及びサービス業等の多様な活動」を担う協同組合を「B型社会的協同組合」として規定されています。B型ではそこで働く人の30%以上が障がい者などの社会により不利益を被らされている人々で構成されていることが義務づけられています。

仕事の内容も実に様々で、協同組合同志のネットワークのみならず営利的企業との協力、たとえば大手地方銀行によるアウトソース事業(銀行の子会社と連携した、電子バンキングのコールセンター業務)を請け負うところもあるそうです。

イタリアでは社会的協同組合が制度化される際、10年余にわたる論争があったそうです。「社会的排除との闘い」は、社会のあらゆる場面、あらゆる職場で探求されるべきことであり、社会的協同組合がそれを専門的に担うのは社会全体としての「社会的排除との闘い」のは後退である、というものであり、主として、反差別運動に意欲的に取り組んできた左翼陣営から主張されたとあります。実際にイタリアでの障害者の雇用促進の法的規定は、15人以上の従業員規模の企業に1人の雇用(法定雇用率7%)を課しているものの、その達成率は極めて低く、社会的協同組合に依存した障害者雇用が実態である、という批判は妥当性を持っています。これはIPS援助付き雇用の理念を持つ支援概念を持つ人々が「障害者枠」での雇用やA型事業所に向けるまなざしに似ているかもしれません。

しかし、多くの現場では、議論や「あるべき論」ではなく、すべての働く人が大切にされることが目指され、それがさまざまな地域的なネットワークに広がっています。さらに2006年の「社会的企業法」(法律155号)では、営利企業を含むすべての民間事業組織が社会的有用性を有する事業を行うか、または社会的不利益を被る労働者の雇用を拡大することなどの条件をクリアできれば一般企業でも「社会的企業」として協同組合の経験を活かし評価されていくようになりました。

私は、IPS援助付き雇用がemploymentであることからさらにすすんでworkという働くこと、雇用者と被雇用者、あるいは支援者と被支援者とが分断されない働き方とはなんであるのか、をあらたに考えていきたいと思うようになりました。クラブハウスモデルのようなものなのか、customized employmentのような個別起業的な働き方であるのかはわかりません。ただ、いったん手にしたものを手放して考えることもしてみる必要があるとも感じています。

海外や先達たちの歴史から学び、同僚や仲間となにかを創造していくことを考えるとき、私はわくわく感を感じます。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。