クレージー・ライク・アメリカ

クレージー・ライク・アメリカ。Ethan Watters著:阿部宏美訳、紀伊國屋書店、2013 を読みました。この本はアメリカ版の精神疾患概念が文化を超えてさまざまな国のメンタルヘルス概念に影響を与え、変化を起こしていることを指摘した本です。

この本では4つの疾患概念と地域について言及しています。
香港では欧米の拒食症概念が香港に導入されて急激に広がり、浸透しました。しかし、「定型的」なこの診断名を持つ方が香港の文化や背景に影響を受けている病像と合致していないことを指摘しようとした研究家は、欧米の診断分類の広まりが患者個人の病気の体験を形作るミクロな文化が打ち捨てられ、患者役割が社会的価値を持つことについて、かつての「ヒステリー」への注目と対比して書いています。そして症状についての啓蒙していく中で、非常に注意しているにもかかわらず、専門家は病気を維持し、方向づけることに加担してしまい、その病気を流行される原因の1つであるという南アフリカの心理学者の弁を引用しています。
スリランカ津波の後に現地に欧米の専門家が多く入り、トラウマへの支援をはじめました。それらはPTSDの治療や予防をうたっていましたが、欧米文化でのトラウマ理論が異文化でそのまま適応されるかどうかに筆者は疑問を呈し、アメリカでPTSD概念が出現したベトナム戦争帰還兵の問題がそれ以外の人々に拡大されていくことや、トラウマ治療の第一選択薬とするについて批判的に書いており、現地の文化的背景を無視するような、欧米の文化を無批判に優位なものとして考えることに疑問を呈し、心理学的でブリーフィングのように後からその危険性が指摘された治療法についても言及して、専門家による介入が普遍的な正当性のあるものではないことを指摘しています。
ザンジバルの統合失調症の回復過程について現地で研究した専門家の一章でも、たとえば統合失調症のような精神疾患が脳の生物学的な障害であるという、半世紀にわたる原因究明はスティグマを減じていないという。つまり、病気の原因を脳の生物学的異常に求めることは、周囲の人に回復が不可能ではないかと思わせることになるのではないかと危惧し、精神的な病が神により恩恵や試練として与えられたものであるというイスラム文化圏の考え方は欧米の試練は克服されるものというものとは根本が違っていることを指摘して、病や回復についての考え方にも文化が色濃く影響しており、現地の人々の暮らしを見据えていくことの重要性を指摘してます。
最終第4章は、日本での「うつ病拡大キャンペーン」がどのように行われていったのかを製薬メーカーによる抗うつ薬販売促進キャンペーンにかかわった人へのインタビューを交えて赤裸々に描いています。DSMによるDepression診断をかつての内因性うつ病から拡大していこうとするメーカーの意図と、「うつ病や自己に対する概念は融通が利き、ある文化から別の文化へと輸出するものなのだ」という指摘、社会や体験の中から生じる個人の苦しみや悲しみの表出という日本の文化を症状とみなしていくような、症状と正常の線の引きなおしキャンペーンによるマーケットの拡大、書店のペーパーバックを目にしたNHKのプロデューサーが、その本を上司のもとに持ち込んで作った特別番組によって世論の風向きが大きく変わったというエピソード、製薬会社によるウェブ戦略の裏側などが書かれています。

そして製薬会社が臨床研究に資金援助を行うことによって影響力を大きくするようになり、抗うつ薬の有効性のデータに関しては、不利なデータは取り除かれるか、都合のよい解釈をされ、ほんの少し有益な結果が出ると、改ざんされたり発表されなかったりし、学者や学術誌の編集者を通して医療情報担当者やマーケティング担当者や広告代理店に広められ、騙されやすいジャーナリストが喧伝するため、商品に関して消費者が思っているような科学的根拠は実はその薬の背後にはない、ということが起こりうる、と厳しく書いています。
ここに書いてあることが事実であれば、昨今わが国で大きな問題といわれている降圧剤の臨床データに関する問題は、わが国以外でも大きな問題として認識されている気がします。

筆者も上記で述べているとおり、ジャーナリストによる情報の流布は必ずしもすべてが中立な立場からのものであるとは言い切れないと思いますが、臨床の現場にいて「精神医学の概念はすべての国において普遍なものとはみなされない」ものであること、診断は重要ではあるものの、診療をさせていただいている人がなぜ、このような状態で自分自身の目の前にいるのかを深く理解しようと努力することの重要性をあらためて感じさせられた一冊でした。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。