むかしMattoの町があった
- 2013.05.14
- 日記
知人にすすめられて”むかしMattoの町があった”という映画を観ました。以前、山梨県の精神保健福祉を考える会(やりま商会)で上映会を開催した”人生、ここにあり!”の物語の基礎となった、イタリアの精神科病院を廃止するという法180号の制定に心血を注いだ精神科医フランコ・バザーリア氏の物語を、歴史にできるだけ忠実に再現しようとした物語です。
この映画の自主上映会を広めようとしている集まり「180人のMattoの会」ホームページからストーリーを転載します。この映画は2部構成で、あわせて198分という長編ですが、私は吸い込まれるように画面に見入り、時間はあっという間にたちました。
以下・180人のMattoの会ホームページによるあらすじです→http://180matto.jp/about.php
【第一部】(96分)
主役は3人です。
イタリア精神保健改革の父、フランコ・バザーリア。
アメリカ進駐軍に凌辱された女性から生まれたマルゲリータ。
旧ユーゴでファシストとナチスに蹂躙されて家も肉親も失ったボリス。
1961年、ゴリツィア県立精神病院長に赴任したバザーリアは、小さな檻に閉じ込められていたマルゲリータに顔を近づけたとたん、唾を吐きかけられます。独房のベッドに15年も縛り付けられているというボリスを回診すると、屈強な看護師たちに取り押さえられた立ち姿のボリスの汚れた股間に、ホースの水が無遠慮に掛けられています。
バザーリアは、ゴリツィア病院の収容所臭さをなくすことに、心血を注ぎます。こんなバザーリアに、マルゲリータやボリスの頑なな心も、少しづつ緩んでいきます。
しかしゴリツィア県の行政当局は、病院外に精神保健センターを造ることにも、職員を増員することにも反対です。
そこに、外泊した男性が妻を殺める事件が重なって、バザーリア院長は病院を追われてしまいます。1969年、こうして映画の前半が終わります。
【第二部】(102分)
1971年、トリエステ県代表(日本の県知事に当たる人物)のミケーレ・ザネッティが、県立サンジョヴァンニ病院長になってほしいとバザーリアを口説きます。バザーリアは、「白紙委任状」(つまりカネを出しても口は出さないということ)を条件に、院長を引き受けます。
マルゲリータもボリスも、サンジョヴァンニ病院の入院者として、後半でも登場します。これはフィクションですが、ゴリツィア県とトリエステ県は自治体として近隣同士ですから、不自然を感じさせません。
やがて病院は縮小されて、代わりに24時間オープンの町なかの精神保健センターに機能が移されます。
1978年、イタリア中のマニコミオ(精神病院)を廃止する新しい精神保健法(180号法)が、国会ほぼ全会一致で成立。
マルゲリータもボリスも、紆余曲折を経て人間として復権を果たします。
しかしバザーリアは、脳腫瘍で死の床につきます。
健常と呼ばれている人々と私たちの間の差は何なのか、あらためて考えさせられました。そして、精神科病院から解放された人々がいる一方で「帰りたいのは病院のような施設ではなく家なんだ」という言葉や「身体を自由にしても心がまた縛られている」など、ただ病院から地域に身柄を移行させることではなく、人としての復権やリカバリーとはそれぞれの人にとってどのように感じられるものなのか、をあらためて考えさせられる映画でした。
イタリアでの精神科医療改革の歴史を知ることができました。ハッピーエンドではなく、現実を取り扱ったやや重たい映画ですが、多くの人に見てもらいたいと思います。個人的には一度は志半ばである病院を去ったバザーリアが、信念を持続け、新たな病院に移り、高い理想を追い求めてあきらめずに実践続けることで、ついには世の中を変えるにいたったということに感銘を受けました。どんなに高い理想であっても、新しいことを成し遂げるには、苦労や時間がかかることを恐れないこと、そして人を信じ続けることがどんなに大切なことかを実感し、勇気づけられました。
私たちになにができるのか? アディクションをお持ちの方々と考えてきたことと同じように、すべての人々とメンタルヘルスについて考えていくことの重要性を感じました。
※山梨県の精神保健福祉を考える会では、今秋に自主上映会を開催しようと考えています。
最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。
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