ダイアローグ
- 2012.07.18
- 日記
デヴィッド・ボーム著・金井真弓訳「ダイアローグOn Dialogue」
英治出版
知人から紹介されて読んだ物理学者でかつ思想家であるデヴィッド・ボームによるこの本は、最近弊ブログでもご紹介した「考えない練習」 や、ワールドカフェ方式の研修にも通じる、思い込みを手放すことの大切さが書かれてありました。ちなみに、いろんなところで評価の高い本のようです。
これまで私たちは、ものごとを深めていくときに議論(ディスカッション)を行ってきました。ディスカッションは結論を出すもので、勝ち負けがあったり、説得や妥協も必要になるものです。私たちは長らくこの方法を対人関係の交渉術として身につけてきました。ボーム曰く、人は自分の思考を「事実」と混同しがちで、その点に我々が気づいていないということですが、これって精神的な病いを取り扱う人々の業界では妄想というものに近いような気がします。しかし、それぞれの人には経験の積み重ねによる人生の物語があるため、それが異なっていることから時にこころへの侵入感を抱き、感情的になってしまう(コンフリクト)ことがあります。自他の境界線をはっきりさせる、時にはぴしゃりと境界線を分断してしまうようなこともおこったりします。これまでの考え方では解決が困難な事案へのアプローチが遅れがちになることの一因には我々の思考のかたくなさにあることが少なくないようにも思います。
そして、ディスカッションの真逆にあるのが対話(ダイアローグ)だというのです。それは対象を外部から総合的に眺め、その場で引き起こされる感情やこころの反応を保留することによって、これまでには発見することが難しかった新しい方向性を創造していこうとするものだそうです。互いの相違点や認識を眺めながら、互いに値踏みをせずに相互の間にある共通認識や参加意識に注目してこれをはぐくみ、対話することの意味を感じて継続していくことが重要だという気がしました。
こういったダイアローグのプロセスでは、今まで利用してきた想定とか経験の積み重ねによる反応を保留して充分に関心を向けながらただ眺めることが求められます。まるで禅の世界のようです(禅について十分学んでいない発言です、ご容赦ください)。といいつつ、やはり「なるほど~」は大事な言葉なのだ、と実感させてもらえる本でした。
最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。
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