山梨しゃくなげ会講演会

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さる3月17日に山梨県立大学飯田キャンパス講堂で大熊一夫氏の講演会「精神科病院を捨てたイタリア、捨てない日本」と山梨の今、これからについてを考えるシンポジウムが開催されました。

イタリアでは1978年に精神病院を新しくつくることや、新規入院を、1980年には再入院を、1998年12月に全ての単科精神科病院を廃止したそうです。そして社会的な治安の責任から精神科医も解放されたそうです。全国一律にすであるということではないそうですが、フランコ・バザーリアらのおしすすめた精神医療改革で精神科病院の新規入院は厳しく制限され、閉鎖病棟は幼稚園になり、病院長の邸宅はどうしても社会に戻れない方のためのグループホームにかわっていたという写真がありました。
イタリアの精神保健改革のキーワードは一般的には「脱施設化」ですが、大熊氏は単に建物のの外に出るという意味合いよりも、人間の尊厳の回復という意味を含めて「脱収容所化」と表現されていました。
精神医療改革では徹底したAssenblea(集会)がないと病院はなくせないというお話もありました。日頃の信頼関係を築き、危機的状況の時に付き添ってもらいたい人は誰か、どのような治療をしてほしいかをきちんと決めておくことが推奨されていました。その中には薬を使わないという選択肢があるそうです。WRAP(元気回復行動プラン)のクライシスプランで決めておくとよいこととされているものが、しっかりと違う国でも息づいていました。
地域に精神科医療の重点を移すためには病院をやめるだけではなく、それにかわるものを地域につくる必要がありました。日本以外の国では精神科病院はみな公営なので、患者が地域に出るのに合わせてスタッフも地域に移行するということを強制力をもって5、6回にわけておこない、病院にかわる精神保健センターを地域につくったそうです。財源も人口に応じて医療費の3~5%をかけることにしました。このお金の掛け方で精神科医療の質がわかれているということでした。
もちろん病床が0になったわけではなく、4000床程度の精神科病床があります。総合病院に15床程度の精神科専用のベッドをもうけましたが、これは精神保健センターの管理下におかれています。365日24時間オープンしている精神保健センターも50ヶ所あり、4~8ベッドをもつ有床クリニックが併設されています。これは、今から30年以上前の現実にあった話です。振り返って日本をみると30年は遅れていると言えるでしょう。
バザーリア氏がスタッフによく言っていた言葉は「タンスから骸骨を取り出せ!」というものだったそうです。イタリアでは「都合の悪いものを隠す」という意味合いで「タンスに骸骨を隠す」という格言があるそうで、そういった都合の悪いものを目に見えるようにしていくこと、精神科病院の暗い側面を直視せよ、と仲間たちに言っていたということになります。
私が司会をつとめさせていただいたシンポジウムも含め、フロアからユーザーの方の意見も多く出されました。骸骨を出してくださった、と聞こえた方のご発言もありました。現状の精神医療保健システムの問題が浮き出されるとともに、精神的な困難や病を得た方が奪われてしまったものの回復を中心にしようとする、これからの山梨の精神保健活動において、ユーザーご本人の方やご家族の方の力添えが不可欠であるという思いを強くいたしました。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。