9年を経て「品格」を思う

東日本大震災から9年が過ぎました。未曽有の大災害という名にふさわしい天変地異でした。わが国では、この1年の間にも豪雨・台風、そして新型ウィルス感染症と、筆舌に尽くし難い経験を多くの方々があじわうこととなっています。

大震災のその後、私の勤め先にも2名の方が、原発事故で機能停止となってしまった精神科病院からの転院でこの地にいらっしゃいました。最初にお迎えをしたときに、同乗してきたスタッフの方が一番先に示されたのが「放射線スクリーニング証明書(のようなもの)」だったことに衝撃を受けました。当時は、福島から避難して来た子どもが、避難先で「放射線が移る」などと言われていじめにあったと聞きました。いじめを是とすることはありえないことですが、放射能という見えない恐怖に不安を抱く気持ちまで批判はできないのだろうとも思いました。ものの善悪ということではなく、そのためのスクリーニング検査で「自分は大丈夫」という証が必要となっていったのだろうと思います。

自分以外の誰かに対して「コミュニティに害をなすかもしれない属性がある」ということを理由として、人間は様々な差別を行ってきました。ハンセン氏病をお持ちの方々やそのご家族についての長きにわたる差別・今なお続く精神障害をお持ちの方々への差別、特定の民族や出自についてのレイシズムの考えはみな人間を「あちら」と「こちら」に区分けして、それらが交わらないようにすることで自分を守ろうとすることから生まれてきていると思います。しかし、クルーズ船内がそうであったように、社会においてそれらは交じり合わざるを得ない場合が多いと思います。

最近の社会的パニックの源である新型コロナウィルスにおけるRT-PCR検査に関しても、精度の問題もあって検査の結果陰性は安心に直結しないことを知りながらも度の信頼が寄せられているのは、その根底に「危ない可能性のある者を排除して自分が安心したい」という人々の気持ちが影響しているように思います。

先日、NHKドラマ「心の傷を癒すということ」のモチーフとなった故・安克昌医師は災害コミュニティとは何かをあからさまに問い、「心的外傷を受けた人は孤立しやすい」と指摘していました。何らかの困難を得、傷ついた人々を排除せず、回復過程をともにしうる社会こそ、「品格」のある社会だという言葉は私にとり重いものです。

そして、私たちの過ごしている1日は、なんらかの理由で命を絶たれてしまった人々が生きたかった1日なのだと、ありがたみをかみしめながら、私にとり大切な一日であるこの日、ただ頭を垂れて あの日のこと、あのあとのことを思い返し、祈ります。

出典:シンちゃんさんによる写真ACからの写真

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