「水増し」報道について思うこと

昨日からネットに出回っている報道によると

 「国土交通省や総務省などの中央省庁が義務付けられた障害者の雇用割合を42年間に わたり水増しし、定められた目標を大幅に下回っていたとして、政府が調査を始めたことが16日、分かった」そうです。

 報道によれば、障害者雇用率の算定において、障害者手帳を持たない対象外の職員を算入する手法が使われ、国の雇用実態は公表している人数の半数を下回る可能性があり、1976年に身体障害者の雇用が義務化された当初から恒常的に行われていたということのようで、これまで国は企業や行政に障害者雇用率を設定して、企業が目標を達成できなければ、納付金などを徴収したり、悪質なものは企業名の公表なども行ってきました。ところが、報道が事実であれば民間からの反発・批判は必至と報じられています。

 さまざまな報道で「障害者雇用率の水増し」という文字が躍っています。不正を許さず、というマスメディアがもつ正義感の表れなのでしょう。ですが、ちょっと待って欲しいと私は思います。

水増しとは、三省堂大辞林では
?@ 水を加えて量を増やすこと。
?A 実質はないのに見かけだけを増やすこと。 「経費を-して請求する」
とあり、予算の水増しや量の水増し、点数の水増しなどモノについての表現です。
 障害者雇用率の算定の問題の根底には、手続き上の不備があるにしろ、今現在疾患や困難を抱えて働いている生身の人間がいることを忘れてはいないでしょうか。
 今回、算定対象の運用でカウントされているとされるそれぞれの人が働いている人生は「実質がないのに見せかけだけ」なのでしょうか。人間が対象となる「雇用」について、「水増し」の表記は私にはつらい言い回しと感じられました。「雇用率算定の運用方法に誤りがある」ではだめだったのでしょうか。

 私の同僚にも病を持ち、しかし手帳を持つことを良しとしない、あるいはまた返上した仲間がいます。その人たちはもちろん弊法人の障害者雇用率には算定されていませんが、手帳を持っていても持っていなくても、同僚の働きや人生の価値が、いささかも変わらないと私は思っています。

 今、官公庁に勤めていて、制度に即した手続きによらないでカウントされていることが明らかになった、ひょっとして間接的に糾弾の視線にさらされかねない人たちに出会えたら、私は次のように想いを伝えたいです。

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  あなた方が働いて、自分の人生の道のりを歩んでいる素晴らしさは、障害者
  雇用率のカウントとは何も関係ありません。あなた方が働いていることは、
  なにかの物差しで本物ではないと断じられるものではないし、誰かの座る席を
  あなたが不当に横取りしたわけでもなく、あなたの働いている価値が薄いもの
  であることも意味していません。

  みなさまのこれからの日々がより良いものでありますように。

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 人をひとくくりにして、それぞれの人の仕事の内容ややりがいを問わないものとなりかねない「障害者雇用制度」について、もう一度自分に問い直さなくてはいけないと思いました。


最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。