現代のスティグマ

今から20年も前に刊行された本をあらためて読む機会を得ました。


大谷藤郎著「現代のスティグマ」勁草書房、1994

スティグマとは、もともとギリシャ語で「焼きごてでしるしをつける」など肉体上の「しるし」を意味し、これをつけることによって 奴隷、犯罪人、謀叛人などに汚れたもの、卑しむべきものという烙印を貼って世間に知らしめたもので、共同体のスケープゴートの対象でもあったそうです。
例えばわが国において、精神病やかつてのらい病(ハンセン病)は残念なに、本当に不名誉なレッテルを貼られスティグマ化されてきた典型といえるでしょう。スティグマ化されると、一般論として

 1.身分の低下、例えば失業や貧乏になる
 2.社会的アイデンティティの破壊-地位、権利、及び社会的存在の否定が起こる
 3.人間性の否定がおきる
ハンセン病に対するスティグマは法律により強化され、さまざまな制限が制度化されてきました。そのことで、日常的に地域からの排除が進行し、それがまた民衆感情にはね返って行き過ぎた偏見があたかも社会常識であるかのようにいっそう強固なものとなっていったとされます。その法律とは

 ○1907年 法律第11号 らい予防に関する件
 ○1931年 国立らい療養所患者懲戒検束規定
 ○1953年 らい予防法改正
1996年にらい予防法が廃止となるまでの間、法律の下で我が国の患者さんが受けてきた受難は 強制収容、親子夫婦生き別れ、永久隔離、自由の束縛、裁判のない懲戒検束、獄死、 断種、絶望的な抵抗
などとなってあらわれたとされます。
ある特別な病気や障害を病む人(ハンセン病、精神障害、AIDSなど)にたいして、いつの間にか言われのないステレオタイプ(固定観念)、スティグマ、偏見が発生しまたそれに伴って拒絶、差別が起こった。その理由は自分に被害が及ぼされるかもしれない「恐怖」に発しています。

偏見は一般の人々の間に初めからあるのではなく、専門家や役人などの関係者によってつくられ、知らない間に一般化してしまい、多くの人々はそのような悲しみの少数者がいることを知らなかったり、自分がかかわりあいになることを恐れて知らぬふりをし、または自分より劣った人間であるとして遠くから冷たい視線を送ったりします。

しかし、同じ病名であっても症状の軽重はそれぞれなはずなのに、ハンセン病であれば、強制的に施設に送り込むことが法として続けられたわけです。当時厚生省におられた、著者である故・大谷藤郎先生は患者さんの日常生活改善のために努力されましたが、施設内での生活が改善されても、「らい予防法」がある限り、当事者の方々の人権は侵害されていると考えるようになったそうです。そのきっかけは、1984年の職員による患者の暴行致死事件「宇都宮精神病院事件」の後、ジュネーブの人権委員会が「日本政府は患者の意志を無視した強制入院ばかりやっている」と厳しく非難したことでした。これを機に精神衛生法の改正が議論されました。大谷先生は精神衛生法において措置入院は強制入院であるが、同意入院は家族が同意するものであるから、それ程非難される強制入院ではないという認識を持っていましたが、ジュネーブではこれの濫用は明らかな人権侵害であるということでした。それならば日本に「らい予防法」が存在することの方が問題だ、と大谷先生は考えられました。

さまざまな話し合いを経て、1996年には「らい予防法廃止の法律」が制定されました。さらにその後、過去の人権侵害の責任について裁判が起こされ、政府と国会が断罪され元患者側の全面勝訴という形でハンセン病の裁判が終わりました。この裁判では、それまでの施設内での処遇改善政策に対して、法学の立場からは「現在のかなり改善された待遇をよしとし、法律改正によってこの医療、生活の補助が打ち切られれば帰るに帰る家もない状態になりかねないので、むしろ法廃止は希望しないという患者もおられると伺いました。私はそのように考えざるを得ないようにしたことこそ、これまで行政と社会の犯した最大の罪であると思い、胸が痛くなりました」(甲第一号証三三〇頁)と批判の証言が行われたそうです。

メンタルヘルスの分野でも、さまざまなこころみで、地域での生活を援助しようとする動きがみえています。私たちは、わが国におけるハンセン病に対する施策・処遇の歴史からもっと学んでいく必要があるように思います。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。