アンチスティグマの精神医学

『アンチスティグマの精神医学-メンタルヘルスへの挑戦』ノーマン・サルトリウス著/日本若手精神科医の会(JYPO)訳、金剛出版を読みました。

この本は世界で最も有名で影響力のある精神科医の一人である、元WHOメンタルヘルス部門長で世界精神医学会長であったノーマン・サルトリウス先生の過去の講演に加筆した本です。原著の題は”Fighting for Mental Health”で、現状に批判的かつ支援者を鼓舞する意図があるような気がします。サルトリウス先生は国際アンチスティグマ委員会の顧問でもあり、情熱を持って世界的な精神科医療の進展を望む活動をされています。

表紙に使われている絵はブリューゲルの「誰も自分自身の事を分かっていない」という絵で、がらくたを探し回る人々を、細かいことにこだわって周囲からこっけいにみえている人々を精神医学の分野にみたてているかのようです。「スティグマ」の存在の根源には社会のありようのほかに、精神医学の担い手である私たちのあり方が大きく関与しているのだという、私たちへの責任をつきつけるメッセージがあるように私は受け取りました。

内容は、現在の精神保健サービスの提供に関しての批判や臨床におけるヒントのようなものも含み、示唆に富み幅広い内容に及んでいます。

メンタルヘルスの概念では重複と混乱があり、たとえば「異常な行為」の原因には mad,bad,mentally ill の3つがあり、犯罪は精神障害には関係がないということを、教育・マスメディア・法律・社会福祉のあらゆるレベルで明確にすべきであるとこの本には書かれています。そして病気についても、disease(医学的判断), illness(個々人の経験), sickness(個人の健康状態の低下) のコンセプトの違いから医学における精神医学の立ち位置を明快に示しています。医療はdisease を対象とした指針であって、「調子が悪い」illnessによって目の前にやってくる人向きにはできていないということです。今日、うつ病という呼び名の広がりが disease と illness の混乱から生じていることをすっきり解説してくれています。また、精神医学用語を政治的に利用しないように警鐘を鳴らしています。

また、メンタルヘルスにおける発展のためのデータを示してから、政策決定者がその方向での施策に向けて動き出すまでには何十年もかかる、という「熟成」の仮説は、現状を変えようとする人々への不屈の姿勢にとって、くじけないための大きなエールに思えました。

18章は「イネーブリング」となっています。嗜癖の臨床を経験していると、「イネーブラー」という単語を知るので、最初は「回復のきっかけを阻害する」という意味に誤解しましたが、本来の「イネーブリング」は「○○を可能にする」という意味であることに気がつかされました。精神的困難を得た人が回復するために必要なのは、「リハビリテーション」ではなく「イネーブリング」であるとこの本には書かれています。私たちはエンパワメントを意識した支援を行っていますが、援助とリハビリテーションを包含した概念としての「イネーブリング」は自分の中での整理に役立ちました。

この本にはサリトリウス先生からの私たちの直面している多くの課題から目をそらさず立ち向かうべき、という熱いメッセージが詰まっているような気がしました。

訳文はかなり読みやすく練りこまれており、翻訳にあたった日本若手精神科医の会(JYPO)の皆さまの仕事が良いものであり、そして訳された若い精神科医の方々がこの本に大きく影響を受けたであろうことが、私には伝わってきました。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。