リレー放談

日本精神科病院協会では、会員のための雑誌「日本精神科病院協会雑誌」を発行しています。その中で、毎月さまざまな地域の管理職の立場の方がコラムを書いていく「リレー放談」というコーナーがあるのですが、8月号では私がバトンを渡していただき、執筆させていただきました。多くの先輩方が精神科医療へのコメントや提言をされているのですが、私はやはり”サッカーから医療を考える”という日ごろの考えのもとに文書を書かせていただきました。

協会より掲載のお許しが出ましたので、ここに再掲させていただきます。

「水を運ぶ人」   中谷真樹

 サッカー日本代表は、アルベルト・ザッケローニ監督のもと厳しいアジア最終予選を勝ち抜け、2014年のワールドカップ・ブラジル大会へ5大会連続出場を決めたが、今から7年前、2006年ドイツ大会で惨敗した後の代表監督はイビチャ・オシムという人物だった。
 オシムは1986年にユーゴスラビア代表監督に就任し、激しい民族的対立を乗り越えてチームを編成、ワールドカップ1990年イタリア大会でベスト8という輝かしい成績を得た。在職中はサッカーに関する民族主義を徹底的に排除し、すべての民族の出身選手から尊敬を得ていた。そんな名監督・オシムは2003年に来日しジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)監督に就任すると、弱体チームをみるみる強豪に変え、その卓越した戦術理論と人間性は関係者の尊敬を集め、2006年には日本代表監督に就任した。選手を名声や民族といった背景にとらわれずに「ぶれない理念と中立的な尺度」で評価することを貫く姿勢が日本でも受け入れられたのである。だが、オシムは2007年11月に脳梗塞で倒れ、奇跡的に一命を取り留めたものの代表監督を続けられなくなり、後任を岡田武史に譲った。しかしながら、彼は短い期間に重要なメッセージを私たちに伝えてくれた。
 オシムは華のある人だけで成り立っている組織に対して警鐘を鳴らした。有名なのは「水を運ぶ人」という考え方で、監督就任前の日本代表チームに対し、世論が攻撃が得意な選手で中盤を構成する「見栄えのよい代表チームを作ること」を求めることに、オシムは苦言を呈した。「誰が見ても試合に出るべきだという(攻撃的な)選手が6人います。全員攻撃的な選手です。でも誰がいったいディフェンスをやるんですか?サッカーは(残りの)4人で守ることはできないのです。だからバランスを保つために水を運ぶ役割の選手が必要になるわけです。福西ひとりで水が運べるでしょうか?福西が、まあトラックを運転して運ぶことはできますけど。チームのバランスというのはそういうことを言うのだと思います」
 一方で、システムに人を当てはめるチーム運営にも批判的である。「無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。大切なことは、まずどういう選手がいるか把握すること。個性を生かすシステムでなければ意味がない。システムが人間の上に君臨することは許されないのだ。」
 最近は多くの実践者によって、病院あるいは地域でのさまざまな成果を挙げているプログラムや試みがなされている。それらは有用で素晴らしいものばかりである。だが、われわれはシステムの上で表立って活動しているスタッフを支えている「水を運ぶ係」の人のことを忘れてはいけないと思う。その支えになる人々の汗の上に精神科サービスにおけるチームアプローチが成り立っているのだ。私たちの法人では精神的困難の経験を持つ人がさまざまな部署で働いている。清掃・看護補助・有資格職・・・・彼らは私たちと一緒に、一見地道に見える日常業務、つまり水を運ぶ仕事をしてくれている。しかし、その姿は私たちに、人間はリカバリーすることができる、という強いメッセージをも運んでくれているのだ。
 多くの困難を抱える昨今の精神保健サービスの分野ではあるが、私たちはそれぞれの立場で夢に向かって進みたいと願っている。その夢を共有して水を運ぶ人の大切さを知り、また、誰かのために水を運ぶことを皆がいとわなくなるとき、きっと社会は変わってくるはずだ。

(山梨 住吉病院 院長)

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。