18年

1995年1月17日の未明、5時46分に阪神・淡路大震災が発生しました。

私は、慶應義塾大学精神神経科教室からの派遣チームの一員として東灘保健所での精神科救護活動にボランティア参加させていただきました。それまで地元では地域医療を推進しようという臨床を行っていましたが、多職種チームで見知らぬ人々と一緒に地の利のない地区で活動することには慣れていませんでした。

寸断されていたJRの東側からの最後の駅である、住吉の駅に降り立ったとき、見たことのない光景に現実感を持てずに一瞬立ち尽くしたことを思い出します。その後も現場には、経験したことのない場面が数えきれないほどありました。勝手に手助けを押し付けようとすることの害悪や、そのことへの反発があることについて、私はあの時初めて気がつきました。自らの経験と感性で、何とかお役に立てることはないかと思って行動しようとつとめましたが、正直、病院の診察室の中での医師としてのノウハウは大して役立ちませんでした。今思い起こしても、私が誰かの何かに役立ったことはただの一つもなかったと思います。そんな私であるにもかかわらず、訪問先の避難所でも支援機関でもお宅でも「ありがとう」と言ってもらえることに励まされるとともに申し訳ない気持ちが沸き起こってきたものでした。その後いくたびか、活動中にお世話になった、当時の共同作業所「御影倶楽部」の人々のところにお邪魔させてもらったりして私は成長させていただきました。

私は、人と人が出会うときに、立場と歴史を超えて、生身の人間として横につながることの大切さをあの時、私に出会ってくださった人々から教わりました。誰かを支えようとたいそうなことを考えて動いているときに、支えられているのは自分自身なのだと、知りました。今日の私の物の見方の原点があの地にあることは疑うことのできないものだと思っています。

この特別な日に、今年も敬愛してやまない臨床家であった、故・安克昌氏の一文を読み返しました。

「世界は心的外傷に満ちている。”心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。」

今なお、広島で、長崎で、奥尻で、阪神・淡路で、中越で、東北で、そして全国で、さまざまな被災の傷跡に苦しむ多くの方々のこころの平安をお祈り申しげます。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。