僕たちは世界を変えることができない

先日、家族と買い物にでかけたところ、「僕たちは世界を変えることができない。 But, We wanna build a school in Cambodia. 」という映画が向井理主演で上映されていたので、映画館に足を運びました。

内容は、葉田甲太氏の同名の本が原作でした。

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医大生のコータは日常に何か物足りなさを感じていたある日、郵便局で海外支援のパンフレットに目が止まりました。「150万円あればカンボジアに学校を立てることができます」。そしてコータは、すぐに知り合い全員に「カンボジアに学校を建てよう!」とメールを送って活動を開始します。しかし、言うとやるのは大違い、現実は厳しく険しいものでした。

震災前は特に、そうだったのですが、何の不足ない日常を当たり前と感じつつ過ごしている中での自己不全感をもつ若者が、そしてそんな日常から脱するために始めた「海外支援」。そもそもカンボジアに行ったことのないまま始めたため、一度現地を訪れないと、というモチベーションで訪れてみたカンボジアでの直面した過酷な現実。海外支援を進める中で生じる意見の食い違いや他人からの批判。そんな中で世界のために自分ができることは何だろう?こんな小さな自分たちの力で、世界の何が変えられるんだろう?変えられるなんてことは出来ないんじゃないか?という「支援」の根幹を考えさせられる場面もありました。誰かのために何かをしたい、と思うことは少なからずあっても、実際に行動していくことは難しく、しかし、それゆえに支援はやりがいのある事なのではないでしょうか。

印象的だったのは、カンボジアの子どもたちの笑顔でした。現実はほんとうに厳しいけれど、そんな中で子どもたちはやくましく生きて笑っている。その笑顔から、支援しているはずのコータたちが”生きる希望”をもらっている。思いきり共感しました。エイズや内戦、地雷源に暮らす人々、そして親の仕事を手伝うために学校に行けない子どものいる教育事情など、リアルなカンボジアの状況に触れ、最後に学校が完成した時、一緒に嬉しい気持ちになれました。

最後のパーティでのコータの言葉は次のようでした。

「誰かのために何かをする喜び」は時として 「自分のために何かをする喜び」を上回る。

目の前の人が喜べば、自分も嬉しい。支援をしている人が感じる、ある種普遍的な感情がここにもあり、そして大切なものを学ぶことができたと思います。

映画でも、マザー・テレサの祈りがでてきました。

私たちの働きは、
大海の一滴の水にすぎないかもしれません。
でも、大きな海も、一滴の水なしには
大海にならないと思うのです。

私たちはマザー・テレサにはなれないでしょう。でも、何かをすることで、何かが変わっていくのかもしれない・・・あらためて、「支援」というものを考え、今の仕事をさせてもらっている幸運を思うひと時を与えてくれた映画でした。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。