キエフの大門

「キエフの大門」はピアノのための連作組曲”展覧会の絵”の中の1曲です。

この曲を作曲したモデスト・ムソルグスキーはwikipediaによると1839年、旧帝政ロシアの裕福な地主の家に生まれました。しかしその後ロシアは農奴解放を行い、ムソルグスキーの家は次第に没落していき、彼自身も経済的に満たされなりました。それでも、下級士官として働きながらも作曲家として生きていこうと決心しました。

しかし今でこそ、その民衆への思いなど独自の魅力が評価されるムソルグスキーですが、生前は世の中は彼の作品を受け入れるには成熟が不足していたかもしれません。母の死後は徐々に周囲から孤立して彼はアルコホリックにたどり着いたとされています。作品の評価は批評家には芳しいものばかりではなく、アルコールの病は進んでやがて働くこともできなくなり、困窮の中に1881年に亡くなりました。

私は若いころにこの曲を プログレッシヴ・ロックの大御所、エマーソン・レイク&パーマー(EL&P)のレコード「展覧会の絵」で知りました。この楽曲は、ラヴェルの編曲により有名になりましたが、ムソルグスキーの」生前には世に出ることはなかったものです。その最後に位置する曲が「キエフの大門~La grande porte de Kiev~」です。

EL&P(おそらくベーシストのグレック・レイク)はこの曲に、原曲はない歌詞を付けました。

 ”There is No End to My Life,No Beginning to My Death.
  Death is Life.”

最初にこれを聴いた時、学生だった私にはこの意味がわかりませんでした。曲の構成と詩がばっちりあっていてカッコイイ!とは思っていましたが、

 「私のいのちには終わりはなく、私の死によってはじまるものはない。

  死ぬということは生きるということ。」

とは、なんだかわからないけれど「深い」ものなのだなぁ、と思っている程度でした。

今、この詩を再び耳にする時、私がインスパイアされるのはこのようなことです。

  私のリカバリーには際限はない。誰かのリカバリーは他の誰かのリカバリーを受け継いでいる。

  リカバリーは連鎖する。


最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。