松野正弘先生、ありがとうございました

皆さま

70年弱の長きにわたり精神科医として、財団法人住吉病院の院長、のちに理事長、そして公益財団法人住吉偕成会の理事長として私どもを率いてこられた、弊法人名誉理事の松野正弘先生は、令和6年9月14日に亡くなられました。93歳でいらっしいました。本当に悲しく、無念でなりません。

松野正弘先生は、インターン時代に、「当時新進の作家で精神科医であった北杜夫氏が山梨県立精神病院に出張しておられ、その引力が絶大で、精神分裂病(今は統合失調症と病名変更)という難病にとりくむ破目になった。」(住吉病院50年記念誌)ということで、住吉病院にご勤務以降60有余年にわたり一筋に住吉病院・住吉偕成会、そして山梨県のアルコール症治療をけん引されてこられました。もちろん、先生のご診療は多岐にわたり、統合失調症とアルコール症はもとより、時代の変遷に伴い、避けて通れない疾患として「摂食障害、登校拒否、ひきこもり、家庭内暴力、アスペルガー症候群その他発達障害、多重人格、境界性人格障害、自殺と労災、認知症などなど」(前述記念誌)今からおよそ20年前に持っておられた広いご見識に、あらためて先生の懐の深さに感じいった次第です。

松野先生がアルコール症の治療を始めるきっかけについてが、「住吉病院30周年記念誌」に書かれてありました。先生が精神科医としてのキャリアを積み重ねておられたなか、精神鑑定においてアルコール症を持つ方々と出会い、その場面では診断が主で治療は二の次であることにやりきれなさを感じられ、「精神科医を看板に掲げる以上、アルコール症患者と対応することを避けて通ることが出来ないのは、今も昔も変わらないことだが、当時、その対応はないものかと悶々としていた」と書かれていました。

松野先生は1967年頃に慶應義塾大学の医局の拡大研究会があって、なだいなだ先生の久里浜病院におけるアルコール治療についてのお話を聞かれて心を打たれ、自分でもやれそうな気持になったと述懐されておられました。ご自身とご関係のある方がアルコール症をお持ちであったことも関係があるのかもしれませんが、1967年には静岡断酒会とのつながりを深められており、1970年8月5日には住吉病院の院内月例断酒会第1回が開催され、今日まで脈々と続く伝統の道が拓かれました。そしてアルコール症からの回復の道を歩む方を断酒活動およびアルコール関係のケースワーカーとして迎え入れ、精神的困難を持つ方と資格を持つ人がお互いを同僚としてとして働いていくモデルを始められたのが1972年2月のことでした。私がIPSモデル援助付き雇用の一環として院内における精神的困難の経験を持つスタッフの雇用を進め始める40年近く前から、回復を身近に感じて精神保健サービスを運営していく伝統を創られたのも松野先生でした。それでも先生はご自身を開拓者として偉ぶるようなことは一切なさらず、「自助自立を目標とする断酒グループの積極的な介入とそれを受け止める当方の受け皿がたまたま一致して実現したともいえる」と30周年誌にはお書きになっています。

先生には生前、本当に多くのことをご指導いただきました。ある時、ご利用者の就労支援が思ったように浸透していかない、と悩んでいた私は、多くの職員を率いていく際に先生が大切にしている言葉についてお尋ねしたことがありました。その時、帰ってきたお返事は「松野だ」でした。私はなんのことかがすぐには理解できませんでしたが、少したってはっと気がつきました。「待つのだ」と先生はおっしゃったのです。精神的な困難を経験した人を組織に迎え入れるのは、スタッフの病いを持つ人に対する偏見の打破が第一である。そして、時の利と人の和を待つのだ、と。

私が住吉病院の院長として赴任して以降、一貫して激励をいただいていた先生が亡くなられ、あらためて松野先生の大きさとご存在のありがたさをかみしめております。1970年6月、スタッフもご利用者も寄稿できる文集が創刊された時に、当時副院長でいらっしゃった松野先生のご寄稿「つゆに思う」の抜粋をご紹介いたします。

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 (略)人間は将来を見通せない時程強い不安にかられることはないのです。必ずや明るい将来がめぐり来るという希望も一心に念ずる他ありません。折に触れて過去を振り返って反省し、それを将来の発展への踏み台とし、将来を見通す力をやしなうよう普段の心構えが必要なゆえんです。
 この度、大勢の努力で文集創刊号”すずらん”が出来上がったのですが、これを通してお互いの心のふれ合いを確かめ、人間を信じ、自分の役割を考え、やがて迎え入れてくれる家庭や社会を信じ明るい希望をもって生活しようではありませんか。

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かけがいのないお方をを失った今こそ、私たちは先生の残されたご遺志と伝統を受け継ぎながら、歩みを進めてまいります。松野先生、どうか安らかにお休みください。

 

 最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。