プシコ ナウティカ<序章>

メンタルヘルスサービス関係者の中で話題となっている「プシコ ナウティカ」を読み始めました。「プシコ ナウティカ」とは「魂の航海(術)」という意味です。この本はイタリアの精神医療改革に関する本で、医療人類学者・松嶋健氏が6年間にわたるフィールドワークを行って書き上げたものです。
なぜイタリアは精神病院を廃絶したのか?についてその背景にどのような考えがあったのか、精神病院から地域への移行で何が生じたか、イタリアの現場では何が行われているのか、イタリアの現状と文化の背景を展望し、論じている本です。


松嶋健「プシコ ナウティカ」世界思想社

なぜか多忙な日々を過ごしていることもあり、少しずつ読み進んで忘備録的にブログにアップしていきたいと思っちます。

序章:精神医療をめぐる「生」の人間学

ある人を聖人とするのか狂人とするのか、それは社会によっても時代によっても異なっています。そして精神医療をテーマとするにあたっては2つのアプローチがあり、まず精神医療の「施設」とりわけ精神科病院の民族誌について触れられています。ゴフマンが「アサイラム」で示した「全制的施設」概念では、多数の類似の境遇にある人々が、一緒に、相当期間にわたって社会から遮断され、閉鎖的で形式的な日常を送る居住と仕事の場所が「全制的施設」であり、
1)生活の全局面が同一場所で同一権威にしたがって送られる
2)構成員の日常活動の各局面が同じ扱いを受け、同じことを要求されている
3)毎日の活動のあらゆる局面が整然と計画され、決められた時間に決められた活動をする
  ように秩序づけられている
4)様々な活動は、施設の公式目的を果たすように設計された単一のプランにまとめられて
  いる
などの特徴があり、精神科病院はその代表的なものといえるでしょう。
もう一つのアプローチは支援者側の「疾患」概念ではなく、「病い」の個人的経験と文化的次元についてとらえるやり方です。精神病を単なる精神疾患としてではなく「病い」の経験として、より社会との関係性の中にある個人的な経験の次元に焦点を当てていこうとする枠組みです。そこでの問いは「病い」や「社会的苦悩」のような経験は、「現実世界vs内的世界」といた別々のものではなく、あいだの中にあるものだということです。また、人は病むことで「何かをしている」と考えることもできるが、その人の背景や文脈から切り離されて医療化されたり文化化されたりしていると書いてあります。
そのうえで、イタリアの精神医療の人類学は脱施設化により、病気を治療するという医療の論理から生きることそのものに目を向ける方向に定められたと著者はしており、それは「暮らしが病院の敷地の中か外か」を問うものとはもはや同じものではなくなっているように思います。人の「生」に立脚することは制度やシステムが個人の体験を排除することをやめることであり、しかし「生」とシステムとは互いに影響しあっていて関係性の整理は一筋縄ではいかないようです。
「生」に立脚することは近代の政治の根源に触れることであり、人権・主体・民主主義の問題として表れ、精神医療に関する問題は、「福祉社会」のもつ「生きさせるか、それとも死ぬに任せるか」という「生権力」の存在に基づいていると書かれています。ここではナチスドイツによるホロコーストが引き合いに出されていますが、私は「らい予防法」のことを思いました。
イタリアの精神保健にはいくつかのモットーがあり、そのうちの一つは「近づいてみれば唯一人まともな人はいない」であり、かのフランコ・バザーリアが臨床家として行ったことは、結局のところ「狂人」たちの話に、彼らが生きてきた生の物語に、ちゃんと耳を傾けた、ということに尽きるのではないかと結んでいます。
これまでの精神保健福祉に関する、私の世界観に大きな影響を与えてくれそうな本だと感じました。機会があったら読み進んだ部分についてアップしてみたいと思っています。

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。